早河シリーズ第一幕【影法師】
9月8日(Sat)
病室の窓ガラスに小粒の雨が打ち付けた。九州を通過し、関西地方を暴風域に取り込んだ台風はゆっくりとした速度で関東地方に接近している。
「あーあ。今日は晴れがよかったなぁ」
香道なぎさは台風で荒れる外を見て溜息をついた。今日はなぎさの退院の日だ。
「なぎさ、早く荷物まとめなさい。もう時間ないんだから」
「はぁい」
母に急かされて荷物をバッグに詰める。ピンクと青色のシルクのリボンも綺麗に折り畳んでバッグの内ポケットに入れた。
リボンは早河が見舞いにくれた花束のラッピングについていたもので、なんとなく捨てられずにいる。
少しずつ笑える日が増えてきた。それは多分あの人のおかげ。
毎日毎日ここに来て、わずかの滞在でも他愛ない話をして帰っていく早河のおかげで、また笑えるようになった。
「ねぇお母さん。早河さん今日来るかな?」
「退院の日は伝えてあるから来るかもしれないけど、お忙しい方だからどうかしらね」
「そうだよね」
早河の停職期間が明けて彼は今週から再び刑事の任についている。多忙を極める早河はそれでも毎日欠かさず見舞いに来てくれた。
たとえ5分でも、早河が見舞いに来てくれるだけで嬉しかった。彼と話をするのが楽しかった。それも今日で終わりだ。
(連絡先くらい聞いておけばよかった。でもそんなの聞かれても迷惑だよね。お母さんなら早河さんの連絡先知ってるんだろうけど、あえて聞くのもなぁ)
扉がノックされ、友里恵が開けた扉から早河が姿を現した。ちょうど早河のことを考えていたなぎさはわずかに頬を赤らめて彼を出迎える。
『今日退院だったよね。荷物になると思ったんだけど……これ。退院おめでとう』
早河はなぎさにピンクを基調とした小ぶりな花束を差し出した。なぎさが笑顔で花束を受け取る。
「わぁ……綺麗! 早河さんありがとうございます」
ピンクと薄紫の花の周りをカスミソウが囲んでいる。ラッピングのリボンはシフォン素材の白色。またリボンのコレクションが増えた。
「……早河さんどうしたんですか? なんか元気ないみたい」
『そう? 少し寝不足だからかな』
苦笑いする早河の充血した赤い目はまるで捨てられた子犬のように見える。寝不足と言うよりも泣いた跡のような……。
(早河さん何かあったのかな? 仕事のこと? それともプライベートなこと?)
これ以上は踏み込めない。早河には早河の事情がある。
早河となぎさは一緒に病室を出た。母の友里恵はナースステーションで看護師と話をしている。
『なぎさちゃん。俺、警察辞めるんだ』
「辞める?」
『今のまま警察にいても俺は何もさせてもらえない。鎖に繋がれた国家の飼い犬だ。だから辞めることにしたよ』
なぎさは早河に貰った花束を両手でぎゅっと抱えた。
(早河さんが警察を辞めるのはお兄ちゃんの死も理由にあるんだよね)
早河は兄の仇を必ずとると言った。その為に彼は警察を辞める。
「辞めてどうするんですか?」
『俺の親父も昔刑事だったんだ。そして刑事を辞めて親父は探偵になった。だから親父と同じ道を行こうと思う』
彼はポケットから古びた銀色のライターを出してなぎさに見せる。ライターにはT.Hのイニシャルが彫ってあり、早河のイニシャルとは違う。
「それ早河さんの……?」
『親父の形見。どうなるかはわからないけどやるだけやってみるよ。香道さんの仇をとるってなぎさちゃんと約束したしね』
哀しげな目をしているのにどこか吹っ切れた清々しさを感じる横顔が早河の決心を物語る。
病室の窓ガラスに小粒の雨が打ち付けた。九州を通過し、関西地方を暴風域に取り込んだ台風はゆっくりとした速度で関東地方に接近している。
「あーあ。今日は晴れがよかったなぁ」
香道なぎさは台風で荒れる外を見て溜息をついた。今日はなぎさの退院の日だ。
「なぎさ、早く荷物まとめなさい。もう時間ないんだから」
「はぁい」
母に急かされて荷物をバッグに詰める。ピンクと青色のシルクのリボンも綺麗に折り畳んでバッグの内ポケットに入れた。
リボンは早河が見舞いにくれた花束のラッピングについていたもので、なんとなく捨てられずにいる。
少しずつ笑える日が増えてきた。それは多分あの人のおかげ。
毎日毎日ここに来て、わずかの滞在でも他愛ない話をして帰っていく早河のおかげで、また笑えるようになった。
「ねぇお母さん。早河さん今日来るかな?」
「退院の日は伝えてあるから来るかもしれないけど、お忙しい方だからどうかしらね」
「そうだよね」
早河の停職期間が明けて彼は今週から再び刑事の任についている。多忙を極める早河はそれでも毎日欠かさず見舞いに来てくれた。
たとえ5分でも、早河が見舞いに来てくれるだけで嬉しかった。彼と話をするのが楽しかった。それも今日で終わりだ。
(連絡先くらい聞いておけばよかった。でもそんなの聞かれても迷惑だよね。お母さんなら早河さんの連絡先知ってるんだろうけど、あえて聞くのもなぁ)
扉がノックされ、友里恵が開けた扉から早河が姿を現した。ちょうど早河のことを考えていたなぎさはわずかに頬を赤らめて彼を出迎える。
『今日退院だったよね。荷物になると思ったんだけど……これ。退院おめでとう』
早河はなぎさにピンクを基調とした小ぶりな花束を差し出した。なぎさが笑顔で花束を受け取る。
「わぁ……綺麗! 早河さんありがとうございます」
ピンクと薄紫の花の周りをカスミソウが囲んでいる。ラッピングのリボンはシフォン素材の白色。またリボンのコレクションが増えた。
「……早河さんどうしたんですか? なんか元気ないみたい」
『そう? 少し寝不足だからかな』
苦笑いする早河の充血した赤い目はまるで捨てられた子犬のように見える。寝不足と言うよりも泣いた跡のような……。
(早河さん何かあったのかな? 仕事のこと? それともプライベートなこと?)
これ以上は踏み込めない。早河には早河の事情がある。
早河となぎさは一緒に病室を出た。母の友里恵はナースステーションで看護師と話をしている。
『なぎさちゃん。俺、警察辞めるんだ』
「辞める?」
『今のまま警察にいても俺は何もさせてもらえない。鎖に繋がれた国家の飼い犬だ。だから辞めることにしたよ』
なぎさは早河に貰った花束を両手でぎゅっと抱えた。
(早河さんが警察を辞めるのはお兄ちゃんの死も理由にあるんだよね)
早河は兄の仇を必ずとると言った。その為に彼は警察を辞める。
「辞めてどうするんですか?」
『俺の親父も昔刑事だったんだ。そして刑事を辞めて親父は探偵になった。だから親父と同じ道を行こうと思う』
彼はポケットから古びた銀色のライターを出してなぎさに見せる。ライターにはT.Hのイニシャルが彫ってあり、早河のイニシャルとは違う。
「それ早河さんの……?」
『親父の形見。どうなるかはわからないけどやるだけやってみるよ。香道さんの仇をとるってなぎさちゃんと約束したしね』
哀しげな目をしているのにどこか吹っ切れた清々しさを感じる横顔が早河の決心を物語る。