早河シリーズ第一幕【影法師】
 汗だくになってロビーに駆け込んだ早河をホテルマンが怪訝な顔で見つめている。時間は10時4分、なんとか間に合った。
足の速さには自信があっても五千万の金の入るケースを抱えての全力疾走は楽ではない。息切れをしている早河の携帯電話がまた振動した。

{合格だ}

 こちらを嘲笑う見えない相手の態度に早河の怒りが昂る。

『どういうつもりだ? お前はどこにいる?』
{ゲームは始まったばかりなんだから焦らない、焦らない}
『ふざけるな。唯ちゃんは無事なのか?』
{今のところはね}

誘拐された門倉唯の安否が気がかりだ。今のところは無事……その言葉もどこまで信用していいかわからない。

『これからどうすればいい?』
{そのホテルの1503号室に行くといい。1、5、0、3、だ。間違えないように}

犯人はまた勝手に通話を終わらせた。早河は舌打ちして乱暴に携帯をポケットに押し込み、イヤモニの向こうの上野警部に報告する。

『1503号室に向かいます』
{わかった。香道を一緒に行かせる。気を付けろよ}

 上野の言葉通り、早河がエレベーターに乗った後にバディの香道も乗り込んで来た。二人きりのエレベーター内で早河も香道も張り詰めた表情をしている。

『部屋に犯人がいるかもしれない。逮捕の時は慎重に、迅速に』
『わかってます。もしもの時は援護お願いします』

 15階で早河が先に降り、香道は周囲の状況を確認しながら別のエレベーターで上がってきた捜査本部の刑事達と共にエレベーターホールと廊下に待機する。
長い廊下の両側に並ぶ扉の数字から1503号室を見つけた。ここに何がある? 誰がいる?

 早河は慎重に1503号室のインターホンを鳴らした。緊張の一瞬。
万が一に備えてすぐに拳銃を取り出せるように身構えていた早河は細く開けられた扉から顔を出した人物を見て驚愕した。
1503号室から顔を覗かせたのはショートカットの小柄な女だ。それも早河には見覚えのある顔。

「え……あなたは……」
『えっと……玲夏のマネージャーの……山本さん?』

 彼女は本庄玲夏のマネージャーの山本沙織だった。状況が読めずに立ち尽くす両者の背後にさらに声がかかる。

「……仁? 何してるの?」

沙織の後ろから出てきたのは昨夜のデートをドタキャンしてしまった相手である恋人の玲夏だ。

『玲夏? お前こそどうしてこんな所にいるんだ?』
「昨日の話忘れたの? 撮影でここを借りてるのよ」

 部屋には玲夏と沙織の他にも男性や女性の撮影スタッフが入り交じっていて、早河はますます混乱した。
誘拐犯が指定した1503号室には犯人どころか人質もいない。念のため1503号室の中を見せてもらったがそこにいたのは玲夏と撮影スタッフだけだ。
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