早河シリーズ第二幕【金平糖】
12月10日(Wed)午前4時

 夜明け前の警視庁捜査一課にひとりの男が任意同行されてきた。男の名前は熊井。都内に住む29歳の会社員だ。

 司法解剖の結果、倉木理香の身体には精液が付着していたことがわかっている。
犯行日の12月8日夜。MARIAの仕事を終えた理香はシャワーを浴びてから店を出たとの証言があり、客の体液が残っていたとは考えにくい。

営業が終わってから彼女は誰かと性交渉をしたか、または強姦された可能性もあり、理香の周囲を調べていた警視庁捜査一課に売春組織MARIAの内偵を進めていた渋谷北警察署生活安全課から一報が入った。

 渋谷北警察署がMARIAで働く少女達に事情聴取した際、理香に付きまとっている男がいたと証言した。
その男は理香の前に殺された池内眞子の客で、眞子が最後に相手をした客だった。

捜査一課は池内眞子の客であり、倉木理香に付きまとっていた熊井に任意同行を要請。
提出された熊井のDNAと理香の身体に付着していた精液のDNAが一致したことで、理香が殺される直前の性交渉の相手が熊井だと判明した。

 取調室で熊井は縮こまってうなだれていた。取り調べを担当する上野警部が倉木理香の写真を熊井に見せる。

『この女の子に見覚えはあるな?』
『……はい』

熊井は虚ろな目で頷いた。彼は8日の月曜日から会社を欠勤している。

『お前が倉木理香に付きまとっていたとの証言がある。店の前で待ち伏せもしていたらしいな。事実か?』
『俺はただ……眞子《ミサ》に会いたくて……』

 池内眞子が殺害されてからも熊井はたびたびMARIAを訪れ、眞子の同僚の少女達に眞子の所在を尋ねていた。
少女達の話によれば眞子は熊井の元恋人のミサに似ているらしく、熊井は眞子にミサを重ねていた。

『あの子が眞子《ミサ》と仲悪いって聞いて、あの子にいじめられたから眞子《ミサ》はいなくなったんじゃないかって』

 眞子が殺されていることはニュースで報道されている。熊井も当然知っているだろう。
知っているのに眞子がこの世にいない事実を受け入れられず、やがて彼は眞子と元恋人のミサを同一視してしまった。

『12月8日の夜、仕事を終えた倉木理香と会ったな?』
『……はい。……店を出てきたあの子の後をつけて眞子《ミサ》をいじめていたんじゃないかって問い詰めました。でもあの子は……俺を馬鹿にした』
『それで強姦したのか?』

熊井の顔が強ばった。彼は唇を震わせて許しを請う目で上野を見る。

『それは違います! 誘ってきたのはあの子の方です。お金くれるなら一回だけさせてあげるって言うから二万渡して……車の中で……しました……』

 8日付けで熊井はレンタカーを借りている。熊井が借りたレンタカーの座席からは理香の毛髪と体液が発見された。

仕事を休んでレンタカーを借りた熊井はミサと重ね合わせた眞子の姿を求めて街を放浪していたようだ。その後に店の前で理香を待ち伏せし、誘われるまま彼は理香の身体を二万で買った。

『でもあの子を殺したのは俺じゃない……! 俺じゃないんです!』

 理香がMARIAの営業を終えて店を出たのが21時、熊井が渋谷駅の近くで理香と別れたのは22時半。犯行時刻はその後になる。

『俺は眞子《ミサ》に会いたかった…それだけなんです。なんでいなくなっちゃったんだよぉ……ミサァ……』

 熊井は頭を抱えて泣き出した。上野はもう何も言わない。これ以上追及しても無駄だ。
18歳未満への買春行為の罪はあってもこの男に殺人はできない。

熊井は執拗に池内眞子をミサと呼ぶ。熊井にとって眞子=ミサは失った甘い思い出そのものだったのだ。
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