早河シリーズ第二幕【金平糖】
 ネットカフェのソファーで眠るのも慣れた。 でもいくら慣れても自宅のふかふかしたベッドが恋しくなる。
有紗は唇に触れた。初めてのキスの感覚がまだ唇に残っている。昨夜、あのままタカヒロと朝まで一緒にいられたら今頃は……。そう思うと顔に熱が溜まった。

 タカヒロが急用で呼び出され、結果迎えた朝はいつものネットカフェの見飽きた風景。残念な気持ちと少しだけホッとした安堵感。
タカヒロと“そういうこと”をするにはまだ心の準備ができていない。

 17歳でのファーストキス。ついにタカヒロとキスをしてしまった。
聖蘭学園に通う有紗の同級生達はみんな早熟だった。教室で饒舌に性経験を語っているクラスメートも数人いる。
避妊具を見せびらかす生徒もいた。

中学時代にキスを済ませ、それ以上を経験している彼女達にまだ未経験だと知られるのは恥ずかしい。
だからいつも有紗は彼女達に話を合わせていた。

雑誌やネットで得た性交渉の知識を総動員して経験者のフリをする。自分だって男性経験くらいあると思われたかった。
有紗は誰よりも初《うぶ》で、誰よりも見栄っ張りだった。

 財布の中身を確認すると手持ちの金額は少なくなっていた。今夜も家に帰らずにネットカフェに泊まるのなら下のコンビニで下ろすしかない。

 有紗はコートを羽織って一階に降りた。冬の朝の空は汚れのない綺麗な青色をしていて、今の有紗には目を背けたくなる眩しさだ。
何か後ろめたいことがあると人は空を見上げられない。

ATMで預金を下ろし、ついでにファッション雑誌とお菓子を買ってコンビニを出る。またビルに戻ろうとした有紗の前に黒いコートの男が現れた。

『高山有紗ちゃんだね?』
「……誰?」

 男の隣には若い女がいる。どちらも有紗には見覚えがない。

『私はこういう者です』

男が有紗に名刺を差し出した。訝しみながらも受け取った名刺には〈早河探偵事務所 所長 早河 仁〉とある。

「探偵?」
『君のお父さんから君を捜してくれと依頼されたんだ』
「へぇ。あの人、探偵に捜させたんだ」

 有紗は冷めた目をして早河の名刺をコートのポケットにしまった。彼女は二人の横を通り過ぎてビルの入り口に向かう。

『お父さんが心配してる。家に帰ろう』
「帰らないよ」
『日曜に家出してから学校にも行かずにこのネットカフェで寝泊まりしてるんだろ?』

足を止めて振り向いた有紗の表情には大人への敵意が見てとれる。子供が必死に大人に反抗している顔だ。
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