早河シリーズ第二幕【金平糖】
 ──ひとりにしておけないから……そんな彼女の言葉が聞こえてきた。なぎさの靴音が遠ざかると早河は薄く目を開けた。

 山梨から東京に戻ってきて事務所に着くなりソファーで眠ってしまった。しかし眠っていたのはほんの数分前まで。

なぎさが事務所に入って来たことに気付いてはいたが、体が疲れていて動かなかった。ふわりとなぎさの香水の香りを感じた直後、身体に何か柔らかいものがかけられた感触があった。

(ひとりにしておけない、ね)

 コピー機の音が遠くで聞こえる。早河はソファーに寝たまま天井を見つめ、さっきのなぎさの言葉の意味を考えた。

(俺をひとりにしておけないってことか?)

有紗と矢野の言葉が浮かぶ。

 ──なぎささんのことどう思ってるの?──
 ──俺がなぎさちゃんに惚れてるかもしれないと思って焦ってましたよね?──

(どう思ってるとか焦ってるとか、そんなのわかんねぇよ)

 自分のことなのに自分ではわからない気持ちもある。 わざと自分の感情がわからないようにする機能が人間にはあるのかもしれない。

 額に手を当てて溜息をついた彼は身体を起こした。なぎさが使っている白色のブランケットが身体にかけられている。
早河はブランケットを丁寧に折り畳んだ。

「起きたんですね。コピーの音うるさかったですか?」
『いや……大丈夫。これ、ありがとな』

 折り畳んだブランケットをなぎさに手渡す。今日が日曜と言うこともあり、彼女の服装はいつも出勤してくる時とは違う気がする。
早河には細かな所はよくわからないが、心なしかメイクも違う。

女はオンとオフがはっきりしている生き物だ。彼は久しぶりに見るなぎさのオフの姿を物珍しげに眺めた。

『そう言えば有紗に助手になった経緯を話したんだって?』
「ええ。どうして助手をやっているのか聞かれたので」

 なぎさはコピーを終えた資料の束をファイルに入れている。彼女がこの事務所に来てからは、こうした事務作業が溜まらずに片付いて助かっている。

『大丈夫だったか?』
「え?」
『助手になった経緯を話した時に……思い出したくないことまで思い出してしまったんじゃないか?』

 彼女は無意識に左手首を押さえた。セーターで隠れているそこには、1年前に自傷行為をした時の傷痕が残っている。

1年前の夏。兄が死に、不倫相手との子供を妊娠して堕ろした時に精神を病んで傷付けた体の傷。
< 76 / 113 >

この作品をシェア

pagetop