姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
11. アマンダの衝撃
そうだ。全身をくまなく洗うということは……。
この髪の染め粉が、全部流れ落ちてしまうということなのだ。
(ど……どうしよう。姿を偽っていたことがバレてしまう……)
そう思って、ふと気付いた。……そうだ。別にもう私の本当の髪色を他の人に見られたところで、困ることなんかないじゃない。私がこんなに汚く髪を染めていたのはエヴェリー伯爵夫人にそうしろと命じられていたからで、その伯爵夫人ともエヴェリー伯爵家とも、もう縁は切れてしまったわけだし。
(ただ……ビックリされるだろうなぁ……。湯浴み前と湯浴み後で、まるっきり違う髪の私が現れたら……)
そのことだけが、少し気がかりだった。
エヴェリー伯爵家ではいつも一日の終わりに、冷たい水で髪を洗い流していた。どうせ次の朝にはまた染めなくてはいけないし、ただの水で洗ったところでどんなに時間をかけても染め粉が完全に落ちるわけじゃない。洗っても洗わなくても汚いことに変わりはないんだけど、一日でも洗わないと頭が痒くてたまらなくなるのだ。そりゃそうよね。炭やら安物の薬品やら香油やらベタベタ塗りたくって、汗だくで一日中働くわけだから。
だけどこの湯浴み場には、とてもいい匂いのする石鹸が置いてあって、温かいお湯もある。洗えば洗うほど、どんどん染め粉は流れ落ち、私は必死で頭を擦った。中途半端に染め粉が残っていたら、またワンピースや顔を汚してしまう。
まぁ、ワンピースはもうどうしようもないほどに汚れきってボロボロなんだけど。
ようやく全身を洗い終わり、汚してしまった湯浴み場もできる限り綺麗に洗い流して外に出ると、脱衣場の向こうからすぐさま私に呼びかけるアマンダさんの声がした。
「ミシェルさん!? 大丈夫なの?」
「あ、はい! 大丈夫です。すみません、遅くなってしまって……」
「ああ! よかったぁ……。あまりにも遅いから心配したのよ。もし中で具合が悪くなっていたらどうしようって。お湯を使っている音は聞こえてくるし、倒れてはいないと思ったんだけど……。ね、新しいワンピースを用意してあるから、着替えだけ手伝ってもいいかしら?」
アマンダさんのその言葉に、私はホッとした。なんてありがたいんだろう。せっかく綺麗にさせてもらったこの体に、またあのボロボロのワンピースを着て公爵様の前に出るのかと思い、気持ちが重くなっていたのだ。
いつかアマンダさんにはちゃんとお礼がしたい。
「ありがとうございますアマンダさん。はい、じゃあお願いします」
「ええ。入るわね」
そう言ってアマンダさんが、脱衣場の中に入ってきた。
そして。
「…………」
私の顔を見た途端、カチッと固まった。
……いや、正確には、きっと髪だろう。
私の髪を見て、固まっている。
「…………。誰?」
「ミ、ミシェルです」
訝しげに眉をひそめてそう尋ねるアマンダさんに、私はおずおずと答えた。アマンダさんは私にぐっと顔を近付けて、しばらく無言で私のことを見つめている。
そして。突然後ろに飛び退いた。
「え……えぇぇっ!? ミシェルさん……? 本当に!? な、なんて可愛らしいのあなた……別人じゃないの! それに、その髪……!」
か、可愛らしい……?
その褒め言葉は想定外でした。はい。
「あ、ありがとう、ございます……。随分長いこと、湯浴みなんてしていなかったものですから……」
髪色がガラリと変わったことに対する苦しい言い訳をしている間、アマンダさんは口をあんぐりと開け、まばたきもせずに私のことを見つめていた。
「……それにしても驚いたわぁ。湯浴み前と後では違う人みたいなんだもの。一瞬何が起こったのかと頭が真っ白になったわ。ふふ」
「お、驚かせてしまってごめんなさい、アマンダさん」
ようやく気持ちが落ち着いたらしいアマンダさんに清潔なワンピースを着せてもらいながら、私は妙な気恥ずかしさを感じつつ謝った。
「いいのよ。……きっと本当に長いこと苦労してきたのね。身寄りはないの?」
「……っ、……はい。両親が亡くなってからは、一人です」
その質問にドキリとしながらも、私はそう誤魔化した。エヴェリー伯爵家を追い出されてここに辿り着いたという話をしてしまうと、もしかしたら伯爵邸に送り返されてしまうかもしれない。そんなことになったら、どれほどのあの一家の怒りを買うことか。
「じゃあ、若いあなたが一人きりで路上で生きてきたの? よくこれまで無事に命があったわね。その……、いろいろと、危ない目にも遭ったのではなくて……?」
「あ……、い、いえ、まぁ」
「どこかの施設の門を叩くことは考えなかったの? ……やだ、ごめんなさい、私ったら。いろいろと詮索しすぎよね。……さぁ、これで出来上がりよ。うん、いい感じね」
私が言い淀んでいるから気遣ってくれたのだろう。アマンダさんは次々と湧いてきているはずの疑問に蓋をして、私の両肩をポンと叩いた。
姿見を見てみると、さっきまで私が着ていたものとは段違いに質の良いワンピースを着た私が映っている。と言っても、貴族令嬢が着るような華やかなものではないけれど。品の良い落ち着いたベージュのワンピースには、ところどころ白いレースの装飾があって可愛らしい。
「素敵……。ありがとうございます。あの、このワンピースはアマンダさんの……?」
「ええ。私の私物よ。あなたにあげるわ。……んー、やっぱり少し大きいわね。あなたはとても痩せているから。でもまぁ、おかしくはないわ」
「何から何まで、本当に……。いつか必ずご恩返しさせてください!」
私がそう言うと、アマンダさんは少し目を見開いてクスクスと楽しそうに笑った。
「ふふ。その気持ちだけで充分よ。……さぁ、そろそろ行きましょう。旦那様にはあなたが湯浴みをしている間に許可をとってあるわ。きっとお待ちかねよ」
そう言われて一気に緊張が高まる。
私はドキドキしながらアマンダさんに続いて部屋を出たのだった。
この髪の染め粉が、全部流れ落ちてしまうということなのだ。
(ど……どうしよう。姿を偽っていたことがバレてしまう……)
そう思って、ふと気付いた。……そうだ。別にもう私の本当の髪色を他の人に見られたところで、困ることなんかないじゃない。私がこんなに汚く髪を染めていたのはエヴェリー伯爵夫人にそうしろと命じられていたからで、その伯爵夫人ともエヴェリー伯爵家とも、もう縁は切れてしまったわけだし。
(ただ……ビックリされるだろうなぁ……。湯浴み前と湯浴み後で、まるっきり違う髪の私が現れたら……)
そのことだけが、少し気がかりだった。
エヴェリー伯爵家ではいつも一日の終わりに、冷たい水で髪を洗い流していた。どうせ次の朝にはまた染めなくてはいけないし、ただの水で洗ったところでどんなに時間をかけても染め粉が完全に落ちるわけじゃない。洗っても洗わなくても汚いことに変わりはないんだけど、一日でも洗わないと頭が痒くてたまらなくなるのだ。そりゃそうよね。炭やら安物の薬品やら香油やらベタベタ塗りたくって、汗だくで一日中働くわけだから。
だけどこの湯浴み場には、とてもいい匂いのする石鹸が置いてあって、温かいお湯もある。洗えば洗うほど、どんどん染め粉は流れ落ち、私は必死で頭を擦った。中途半端に染め粉が残っていたら、またワンピースや顔を汚してしまう。
まぁ、ワンピースはもうどうしようもないほどに汚れきってボロボロなんだけど。
ようやく全身を洗い終わり、汚してしまった湯浴み場もできる限り綺麗に洗い流して外に出ると、脱衣場の向こうからすぐさま私に呼びかけるアマンダさんの声がした。
「ミシェルさん!? 大丈夫なの?」
「あ、はい! 大丈夫です。すみません、遅くなってしまって……」
「ああ! よかったぁ……。あまりにも遅いから心配したのよ。もし中で具合が悪くなっていたらどうしようって。お湯を使っている音は聞こえてくるし、倒れてはいないと思ったんだけど……。ね、新しいワンピースを用意してあるから、着替えだけ手伝ってもいいかしら?」
アマンダさんのその言葉に、私はホッとした。なんてありがたいんだろう。せっかく綺麗にさせてもらったこの体に、またあのボロボロのワンピースを着て公爵様の前に出るのかと思い、気持ちが重くなっていたのだ。
いつかアマンダさんにはちゃんとお礼がしたい。
「ありがとうございますアマンダさん。はい、じゃあお願いします」
「ええ。入るわね」
そう言ってアマンダさんが、脱衣場の中に入ってきた。
そして。
「…………」
私の顔を見た途端、カチッと固まった。
……いや、正確には、きっと髪だろう。
私の髪を見て、固まっている。
「…………。誰?」
「ミ、ミシェルです」
訝しげに眉をひそめてそう尋ねるアマンダさんに、私はおずおずと答えた。アマンダさんは私にぐっと顔を近付けて、しばらく無言で私のことを見つめている。
そして。突然後ろに飛び退いた。
「え……えぇぇっ!? ミシェルさん……? 本当に!? な、なんて可愛らしいのあなた……別人じゃないの! それに、その髪……!」
か、可愛らしい……?
その褒め言葉は想定外でした。はい。
「あ、ありがとう、ございます……。随分長いこと、湯浴みなんてしていなかったものですから……」
髪色がガラリと変わったことに対する苦しい言い訳をしている間、アマンダさんは口をあんぐりと開け、まばたきもせずに私のことを見つめていた。
「……それにしても驚いたわぁ。湯浴み前と後では違う人みたいなんだもの。一瞬何が起こったのかと頭が真っ白になったわ。ふふ」
「お、驚かせてしまってごめんなさい、アマンダさん」
ようやく気持ちが落ち着いたらしいアマンダさんに清潔なワンピースを着せてもらいながら、私は妙な気恥ずかしさを感じつつ謝った。
「いいのよ。……きっと本当に長いこと苦労してきたのね。身寄りはないの?」
「……っ、……はい。両親が亡くなってからは、一人です」
その質問にドキリとしながらも、私はそう誤魔化した。エヴェリー伯爵家を追い出されてここに辿り着いたという話をしてしまうと、もしかしたら伯爵邸に送り返されてしまうかもしれない。そんなことになったら、どれほどのあの一家の怒りを買うことか。
「じゃあ、若いあなたが一人きりで路上で生きてきたの? よくこれまで無事に命があったわね。その……、いろいろと、危ない目にも遭ったのではなくて……?」
「あ……、い、いえ、まぁ」
「どこかの施設の門を叩くことは考えなかったの? ……やだ、ごめんなさい、私ったら。いろいろと詮索しすぎよね。……さぁ、これで出来上がりよ。うん、いい感じね」
私が言い淀んでいるから気遣ってくれたのだろう。アマンダさんは次々と湧いてきているはずの疑問に蓋をして、私の両肩をポンと叩いた。
姿見を見てみると、さっきまで私が着ていたものとは段違いに質の良いワンピースを着た私が映っている。と言っても、貴族令嬢が着るような華やかなものではないけれど。品の良い落ち着いたベージュのワンピースには、ところどころ白いレースの装飾があって可愛らしい。
「素敵……。ありがとうございます。あの、このワンピースはアマンダさんの……?」
「ええ。私の私物よ。あなたにあげるわ。……んー、やっぱり少し大きいわね。あなたはとても痩せているから。でもまぁ、おかしくはないわ」
「何から何まで、本当に……。いつか必ずご恩返しさせてください!」
私がそう言うと、アマンダさんは少し目を見開いてクスクスと楽しそうに笑った。
「ふふ。その気持ちだけで充分よ。……さぁ、そろそろ行きましょう。旦那様にはあなたが湯浴みをしている間に許可をとってあるわ。きっとお待ちかねよ」
そう言われて一気に緊張が高まる。
私はドキドキしながらアマンダさんに続いて部屋を出たのだった。