姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

16. ありがたい提案

 やがて食事が済み、デザートの小さなタルトやゼリーまでいただきすっかり満腹になった頃、ハリントン公爵が私に向かってこう言った。

「……君の事情も分かったことだし、体力が回復するまではこの屋敷で面倒を見よう。しっかり休んで、先のことはその間にゆっくりと考えればいい。君が望むのなら、このハリントン公爵領で生活の基盤を作ることができるよう私も尽力しよう」
「……っ! あ……ありがとうございます……っ!」

 予想もしていなかったハリントン公爵のありがたいお言葉に、美味しいもので満腹になった幸福感も合わさった私は、まるで一気に雲の上まで浮かび上がるほどの喜びを覚えた。
 つい数刻前までは、野垂れ死ぬ恐怖の中で森を彷徨っていたというのに……。
 一時的にとはいえ、まさか公爵様のお屋敷に置いていただけるだなんて! しかも、今後私が一人で生活していけるよう導いてくださると……!
 私が脳内で舞い踊っているとも知らず、ハリントン公爵は左手に持っていたグラスを静かに置くと、またその左手でナプキンをとり、静かに口元を拭った。

「これも何かの縁だ。君の助けになってやれとの神の思し召しかもしれん。今後のことも、また追々ゆっくりと話そう。今日はもう休むといい。さっきの客間は、君がここに滞在している間好きに使って構わないから」
「……」

 そう言ってナプキンをテーブルの上に置くハリントン公爵を見て、私は考えた。実は食事の間中、ずっと気になっていたのだ。右腕をギプスで固定しているものだから、公爵はずっと左手だけで食事をしていて、その不慣れな感じの動作が大変そうだな、と。それに、右腕だけじゃない、きっと横腹か肋骨あたりを痛めていらっしゃるのだろう。時折顔を顰めてその辺りを庇うような動きを見せていた。
 どうせ滞在させていただくのなら、せめてその間、この方のお役に立ちたい。
 カーティスさんは「おお! よかったなぁミシェル」などと言ってニコニコしている。私は公爵に自分の思いを伝えようと、意を決して立ち上がった。

「あ、あのっ! でしたらここにおいていただく間、私にも公爵様のお手伝いをさせていただけませんか……っ? 何か、その、み、身の回りのお手伝いでも何でも……。私のせいで公爵様のお体に怪我を負わせてしまったわけですし、その上でこんなにも親切にしていただいて……。せめて何か、ご恩返しをさせていただきたいです!」

 夢中でそう言うと、公爵もカーティスさんもこちらを見たままポカーンとしている。

 ……あ。

「い、いえっ! 違います違いますっ!! 私は絶対に公爵様に余計なアプローチをしたり、し、下心を持って近付いたりなどいたしませんっ!! あくまでお仕事です! お手伝いです! ただ純粋に、その、あ、与えられたものに対するお返しを、ですね……!」

 しまった、もしかしてまた変な誤解をされてしまったのではないか、と勝手に焦り、私は汗をかきながら必死で言い訳をする。冗談じゃない。もしもここで「うわ……この女もこれを機にと私に色目を使って近付いてくるつもりだな、これだから女は」なんて思われて、やっぱり出ていけ! なんてことになったら……! 今度こそ野垂れ死ぬ……!

 目の前でブンブンと両手を振りながら全力で言い訳する私を見ていたカーティスさんが、ゲラゲラと笑い出した。

「うははは! まさか、そんなこと思わねぇよ。ミシェルがロイド様にアプローチするなんてさ。貴族のお嬢様ならまだしも。いくらロイド様が家柄や身分の差別なく領民を大事にする方とはいえ、もしも奥方や恋人にするなら、そりゃそれなりの身分のお嬢さんになるだろうしな」

 カーティスさんのその言葉に、なんだか自意識過剰な女になったようで恥ずかしくなる。
 一人で赤面していると、ハリントン公爵が静かな声で言った。

「……気持ちはありがたいが、まずは自分の体のことだけ考えてくれればいい。ともかく数日間、ゆっくり休んでくれ。私の手足となって動いてくれる人間はこの屋敷に何人もいる。心配してくれないても大丈夫だ」
「……は……はい……」

 余計なお世話だったみたい。公爵が私の申し出をどう受け取ったのかは分からないけれど、なんとなく落ち込みつつ私はさっきの客間へと戻った。お屋敷が広すぎて、途中少し迷子になった。
 しばらくすると、アマンダさんが様子を見に来てくれた。

「どう? ミシェルさん。旦那様と一緒にお食事をしたみたいだけれど……少しは何か食べられたかしら」
「……は、はい! 大丈夫です。何から何まで本当に、ありがとうございますアマンダさん」

「パン粥か果物くらいなら食べられるかしら」と優しく気遣ってくれていたアマンダさんがビックリするくらいの量をモリモリ食べてきました、なんならデザートまでいただいてきましたとは気恥ずかしくて言いづらくて、そこは黙っておいた。

 その夜、私は綺麗な枕カバーやシーツに取り替えられたふかふかのベッドの上で、心から安心してぐっすりと眠ることができた。
 体中を温かいお湯で綺麗に洗って、お腹は満たされ、清潔な夜着を与えられ。
 十年ぶりに生まれたままのサラサラの髪で、私は幸せな夢の中へと落ちていった。





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