姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
23. 新しい仕事
その日から私は従業員用の食堂で他の使用人の皆と一緒に食事をとり、皆と同じように屋敷の掃除をしたり、洗濯をした。これまでの数日間、客人としてもてなされていた時よりも若干簡素な食事内容になったけれど、それでも私には充分すぎるくらいだった。むしろ使用人がこんなにも充実した食事を三食与えられているのかと驚いたくらいだ。プリンやゼリー、ムースなどのちょっとしたデザートまでついてくるのだから。やっぱりエヴェリー伯爵家とは全てが違う。
部屋も使用人用のフロアにある一室に移動した。地下だけど、綺麗で清潔な個室だ。信じられない。エヴェリー伯爵家で与えられていた地下の部屋はもっとずっと狭く、ベッドは今にも朽ち果てそうなボロボロのもので、部屋もマットレスも常にかび臭かった。
空腹に苦しむ時間もなくなり、夜は暖かなベッドでぐっすりと眠らせてもらえ、気力も体力もみなぎっていた。おまけに髪もずっとサラサラ。なんて気持ちがいいんだろう。湯浴みは毎日させてもらえ、染め粉をべっとりと塗って髪色を隠せと言われることもない。
朝目が覚めるたびに幸せで胸がいっぱいになり、ハリントン公爵に心から感謝しながら、私は日が暮れるまでやる気満々でめいっぱい働いた。
そんな日々が二週間ほど過ぎた、ある朝のことだった。
一階の廊下を掃除していると、ハリントン公爵とカーティスさんが玄関ホールに現れた。今からお出かけになるのだろう。私はモップを置くと、すばやく二人の元に歩み寄った。お忙しい公爵とは毎日顔を合わせるわけではないので、こうして会えた時くらいきちんとご挨拶しておきたい。
「おはようございます! いってらっしゃいませ、公爵様、カーティスさん」
「おお! 日に日に顔色が良くなっていくな、ミシェル。なんかキラキラしてるぞ。ははっ。楽しそうで何よりだ」
そう言ってカーティスさんが私の頭をわしゃわしゃと雑に撫でる。ハリントン公爵はそんな私たちの方を一瞥すると、そのまま立ち止まってジッとこちらを見ている。
(……? あ、あれ? 私どこかおかしかったかな……)
真顔でこちらを見たまま微動だにしない公爵の様子に、途端に不安になる。私は慌てて頭のホワイトブリムがズレていないか手を当て、自分のワンピースに視線を落とす。
すると公爵が、低い声でボソリと言った。
「……よく働いてくれているようだな。君が来てくれて以来屋敷の掃除がはかどると皆が言っているそうだ」
「あ、ありがとうございます」
家令の方が報告したのかな……? 皆さんに良く思われているようで、少しホッとする。
そんな私に向かって、公爵が突然脈絡のない質問をする。
「君は、子どもの相手は得意か」
「……こ、子ども、でございますか?」
私は急いで頭を回転させる。……どうだろう。エヴェリー伯爵家に引き取られて以来、小さな子どもと接したことなんてほとんどなかったし……。あ、でも、街にお使いに行った時なんかは、物売りの子と少し会話をしたこともあったな。じゃあ、南の街で両親と暮らしていた時は……? あの頃は自分も小さな子どもだったけれど、近所のもっと小さな子たちと遊んであげたりもしていたっけ。……ふふ。可愛かったな。
迷った末、私は正直に答えた。
「えっと、得意かどうかは分かりませんが……小さい子は好きです。はい」
「ああ、ミシェルを連れていくつもりですか? ロイド様。いいですね! 喜ぶんじゃないかな。明るい女の子なら、子どもたちも懐きやすいでしょう」
(……? 何の話だろう)
カーティスさんが嬉々として公爵に話しかけているけれど、何のことだかさっぱり分からない。結局公爵は曖昧に濁したまま、カーティスさんを連れて出かけてしまったのだった。
そして、その日の夜。私は公爵に呼ばれ執務室を訪れた。いつものようにカーティスさんもいる。
「孤児院の視察……でございますか?」
「ああ」
ハリントン公爵は頷くと、たった今私に言った内容を細かく説明してくれた。
「領内の福祉施設を定期的に回り、不都合がないかを確認したり、集まった寄贈品を持って行ったりしている。そういうことは別邸で暮らす母がこまめに行っているのだが、私自身もこの目で状況を確認しておきたくてな、毎月数ヶ所ずつ顔を出すようにしているんだ。私の腕がこんな状態だからな、今回はもう少し人手が欲しいと思ったんだ」
「……」
私は思わず言葉を失った。これまでさんざん驚いてはきたけれど、改めて驚いたのだ。エヴェリー伯爵夫妻が福祉施設を視察していたことなんて、一度でもあったかしら……? ううん、おそらくない。彼らが出かけるのは決まってよそのお宅で開かれるパーティーや茶会、そして街への装飾品の買い物、そんなことばかりだったもの。そもそも福祉施設に関する話題が上ったことさえないはずだ。
私がつい呆然としてしまったからか、公爵は怪訝な顔をする。
「どうした。気が進まないか」
「っ!! い、いいえっ! とんでもないです。ぜひご同行させてください」
後光が差しているハリントン公爵に向かって慌ててそう答えると、カーティスさんが満面の笑みで言った。
「よかったー。喜ぶぞ、子どもたちが。や、荷物も多いしいつも結構な人数で行くんだけどさ、そもそもここは女手が少ないから、連れて行くのも男の使用人ばかりなわけよ。他の護衛たちも遊び相手にはならないし、まともに相手をしてやれるのって俺かロイド様しかいないんだけどさ。今はロイド様がこんな状態だろ? ミシェルが手伝ってくれるなら俺も助かるよマジで」
……ハリントン公爵……いつも子どもたちの遊び相手までしてあげてるのか……。
公爵の背中に、後光どころか天使の翼まで見えるような気がしてきた。
「翌週の頭に行く予定だ。よろしく頼む」
「はい、承知いたしました。こちらこそよろしくお願いいたします」
机に向かって座り、いつものように左手で書類を捌いている公爵に向かってそう返事をしながら、私はふと気付いた。公爵の机の角、たくさんの書類が積まれたその端っこに、うっすら埃が溜まっていることに。
(うーん……気になる。掃除したいなぁ……)
部屋も使用人用のフロアにある一室に移動した。地下だけど、綺麗で清潔な個室だ。信じられない。エヴェリー伯爵家で与えられていた地下の部屋はもっとずっと狭く、ベッドは今にも朽ち果てそうなボロボロのもので、部屋もマットレスも常にかび臭かった。
空腹に苦しむ時間もなくなり、夜は暖かなベッドでぐっすりと眠らせてもらえ、気力も体力もみなぎっていた。おまけに髪もずっとサラサラ。なんて気持ちがいいんだろう。湯浴みは毎日させてもらえ、染め粉をべっとりと塗って髪色を隠せと言われることもない。
朝目が覚めるたびに幸せで胸がいっぱいになり、ハリントン公爵に心から感謝しながら、私は日が暮れるまでやる気満々でめいっぱい働いた。
そんな日々が二週間ほど過ぎた、ある朝のことだった。
一階の廊下を掃除していると、ハリントン公爵とカーティスさんが玄関ホールに現れた。今からお出かけになるのだろう。私はモップを置くと、すばやく二人の元に歩み寄った。お忙しい公爵とは毎日顔を合わせるわけではないので、こうして会えた時くらいきちんとご挨拶しておきたい。
「おはようございます! いってらっしゃいませ、公爵様、カーティスさん」
「おお! 日に日に顔色が良くなっていくな、ミシェル。なんかキラキラしてるぞ。ははっ。楽しそうで何よりだ」
そう言ってカーティスさんが私の頭をわしゃわしゃと雑に撫でる。ハリントン公爵はそんな私たちの方を一瞥すると、そのまま立ち止まってジッとこちらを見ている。
(……? あ、あれ? 私どこかおかしかったかな……)
真顔でこちらを見たまま微動だにしない公爵の様子に、途端に不安になる。私は慌てて頭のホワイトブリムがズレていないか手を当て、自分のワンピースに視線を落とす。
すると公爵が、低い声でボソリと言った。
「……よく働いてくれているようだな。君が来てくれて以来屋敷の掃除がはかどると皆が言っているそうだ」
「あ、ありがとうございます」
家令の方が報告したのかな……? 皆さんに良く思われているようで、少しホッとする。
そんな私に向かって、公爵が突然脈絡のない質問をする。
「君は、子どもの相手は得意か」
「……こ、子ども、でございますか?」
私は急いで頭を回転させる。……どうだろう。エヴェリー伯爵家に引き取られて以来、小さな子どもと接したことなんてほとんどなかったし……。あ、でも、街にお使いに行った時なんかは、物売りの子と少し会話をしたこともあったな。じゃあ、南の街で両親と暮らしていた時は……? あの頃は自分も小さな子どもだったけれど、近所のもっと小さな子たちと遊んであげたりもしていたっけ。……ふふ。可愛かったな。
迷った末、私は正直に答えた。
「えっと、得意かどうかは分かりませんが……小さい子は好きです。はい」
「ああ、ミシェルを連れていくつもりですか? ロイド様。いいですね! 喜ぶんじゃないかな。明るい女の子なら、子どもたちも懐きやすいでしょう」
(……? 何の話だろう)
カーティスさんが嬉々として公爵に話しかけているけれど、何のことだかさっぱり分からない。結局公爵は曖昧に濁したまま、カーティスさんを連れて出かけてしまったのだった。
そして、その日の夜。私は公爵に呼ばれ執務室を訪れた。いつものようにカーティスさんもいる。
「孤児院の視察……でございますか?」
「ああ」
ハリントン公爵は頷くと、たった今私に言った内容を細かく説明してくれた。
「領内の福祉施設を定期的に回り、不都合がないかを確認したり、集まった寄贈品を持って行ったりしている。そういうことは別邸で暮らす母がこまめに行っているのだが、私自身もこの目で状況を確認しておきたくてな、毎月数ヶ所ずつ顔を出すようにしているんだ。私の腕がこんな状態だからな、今回はもう少し人手が欲しいと思ったんだ」
「……」
私は思わず言葉を失った。これまでさんざん驚いてはきたけれど、改めて驚いたのだ。エヴェリー伯爵夫妻が福祉施設を視察していたことなんて、一度でもあったかしら……? ううん、おそらくない。彼らが出かけるのは決まってよそのお宅で開かれるパーティーや茶会、そして街への装飾品の買い物、そんなことばかりだったもの。そもそも福祉施設に関する話題が上ったことさえないはずだ。
私がつい呆然としてしまったからか、公爵は怪訝な顔をする。
「どうした。気が進まないか」
「っ!! い、いいえっ! とんでもないです。ぜひご同行させてください」
後光が差しているハリントン公爵に向かって慌ててそう答えると、カーティスさんが満面の笑みで言った。
「よかったー。喜ぶぞ、子どもたちが。や、荷物も多いしいつも結構な人数で行くんだけどさ、そもそもここは女手が少ないから、連れて行くのも男の使用人ばかりなわけよ。他の護衛たちも遊び相手にはならないし、まともに相手をしてやれるのって俺かロイド様しかいないんだけどさ。今はロイド様がこんな状態だろ? ミシェルが手伝ってくれるなら俺も助かるよマジで」
……ハリントン公爵……いつも子どもたちの遊び相手までしてあげてるのか……。
公爵の背中に、後光どころか天使の翼まで見えるような気がしてきた。
「翌週の頭に行く予定だ。よろしく頼む」
「はい、承知いたしました。こちらこそよろしくお願いいたします」
机に向かって座り、いつものように左手で書類を捌いている公爵に向かってそう返事をしながら、私はふと気付いた。公爵の机の角、たくさんの書類が積まれたその端っこに、うっすら埃が溜まっていることに。
(うーん……気になる。掃除したいなぁ……)