姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

3. 警報

 そんなある日のこと。エヴェリー伯爵夫妻とパドマが、朝から町に買い物に行っている時だった。
 お昼過ぎに、スティーブ様が屋敷を訪れた。

「ミシェル、こんにちは。挨拶に来たんだけど……、パドマたちは? 留守かい?」

 私は玄関ポーチの掃除の手を止め、礼儀正しくスティーブ様にご挨拶した。

「いらっしゃいませ、スティーブ様。……はい、今日は伯爵夫妻とパドマさんでお買い物に行っていらっしゃるのですが、まだお戻りではないんです。午後までには戻るから、もしもスティーブ様が来られたら応接間でお待ちいただくようにとのことだったので、きっともうすぐ帰ってこられると思います」

 そう言って私は玄関の扉を開け、スティーブ様を案内しようとした。彼にとっては勝手知ったるこの屋敷とはいえ、お客様を一人で行かせるのも無作法だと思ったからだ。
 するとスティーブ様は嬉しそうに笑って言った。

「そうか。じゃあちょうどよかったな。実はね、今日も君に内緒のお土産があるんだよ」

 そう言われた私は、はしたなくも胸が高鳴った。食べ物だろうか。そう思うだけでお腹がぎゅるる、と小さく音を立てる。実は昨日は丸一日何も食べさせてもらっておらず、今朝も朝食抜きだったのだ。伯爵夫人の部屋のカーテンが古くなり、隅っこがほつれていることに気付かずそのままにしていたから、というのが今回の食事抜きの理由だった。何度も頬を叩かれた上に食事を抜かれてしまい、まだ許されていない。

「ありがとうございます、スティーブ様。いつもいつも……本当に感謝しています」
「ふふ、いいんだよ。僕はなぜだかミシェルのことが放っておけないんだ。……ほら、おいで。君の部屋で見せてあげるよ。今日のお土産は豪華だよ」

(……え……?)

 そう言うとスティーブ様はごく自然に歩みを進め、屋敷の中に入っていくと、そのまま私の部屋がある地下への階段の方に向かって歩き出す。応接間とは逆の方向だ。
 私が固まったままスティーブ様の後ろ姿を見つめていると、彼は不思議そうに振り返り、ニコリと微笑んだ。

「ん? どうしたの? ミシェル。おいで。ほら、彼女たちが帰ってくる前にさ」
「……で、ですが、スティーブ様……。わ、私の部屋に……?」
「ああ。もちろん。今日は君だけに特別なものを持ってきているからね。パドマたちには見られたくないんだ。ふふ。二人きりの内緒だね」
「……っ、」

 心臓が嫌な感じにざわりと震えた。いくらお世話になっている優しい方とはいえ、……若い男性と二人きりで、あの狭い地下の部屋に……? しかも、相手はパドマの婚約者。さすがにそれはマズいんじゃ……。

「ス、スティーブさま……」

 不安になって声をかけるけれど、スティーブ様はもうスタスタと地下に続く階段の前まで歩いて行ってしまった。離れたところからこちらを振り返り、手招きをしながら口を「おいで」の形に動かしている。
 どうしよう。絶対によくない。……だけど、ほんの短い時間なら……。エヴェリー伯爵家の三人が帰ってくる前に部屋の外に出てしまえば、きっと大丈夫よね……? まさかスティーブ様が、こんな汚い私に何かするはずもないんだし……。
 頭の中では絶対にダメだと警報が鳴っている。けれど、長い間エヴェリー伯爵一家の目を盗んで私に親切にしてくださっていた、唯一の人。彼の提案をきっぱり断る勇気は、私にはなかった。機嫌を損ねたくないし、嫌われたくない。何より、せっかくのスティーブ様の優しさを無下にしたくはなかった。

(……い、急いで出よう。お土産を見てお礼だけ言ったら、すぐに部屋の外に出たらいい。というか、スティーブ様の方がきっとそうしてくださるはず。二人きりで部屋にいるのを他の使用人か誰かに見られるだけでもマズいってことは、分かっていらっしゃるはずだもの)
 
 私は心の中で自分にそう言い聞かせながら、汗ばむ手をグッと握りしめ、スティーブ様の元へと近付いた。





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