姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

32. 侯爵令嬢の攻撃

 ブレイシー侯爵令嬢がそう言うと、旦那様が低く静かな声で答えた。

「……君にそんなことを言われる筋合いはない。私が自分の目で見て、自分で判断して雇った子だ。出自だけで人を判断する君の考え方は相変わらずのようだが、口出しは望んでいない」

 最近、旦那様のことがだいぶ分かるようになってきた。気持ちが落ち着いていてゆとりがある時や、忙しくて疲れている時は、声のトーンや話し方が違う。
 今の声は、滅多に聞くことがない。わりと本気で気分を害している時の声だ。
 ブレイシー侯爵令嬢も旦那様の変化にすぐに気付いたらしい。すばやく話題を変えてしまった。

「あら、私だって出自だけを見ているわけでは……。お気を悪くさせてしまったのならごめんなさい。純粋に、ロイド様のことが心配だっただけですわ。でも、余計なお世話ですわよね。ふふ。ハリントン公爵家のご当主ですもの。私などが提言せずとも、しっかりお考えですわよね。……さ、こちらへ。お茶にお付き合いいただきたいわ。せっかくお顔が見られたんですもの。母に言付かった、隣国土産のタルトもございますのよ」

 そう言いながら、ブレイシー侯爵令嬢は完璧に巻いた金髪を翻し、スタスタとテーブルへと移動した。旦那様はまた溜め息をついた。そして体が重くてならないという風にゆっくりと立ち上がり、ご令嬢のいるローテーブルへ向かうとソファーに腰かけた。そのタイミングで、私は準備が整っていたお茶のトレイを持って二人のもとへ行く。

「失礼いたしま……」
「まぁ……ロイド様……! 一体その腕はどうなさったんですの!?」

 ちょうど私が紅茶を置こうとしたタイミングで、ブレイシー侯爵令嬢がそう声を上げた。どうやら今まで旦那様のギプスに気付いていなかったらしい。机越しで、旦那様は座っており、目の前には積み重ねられた大量の書類。ご令嬢から旦那様の体が見えなかったのだろう。私はそっとテーブルの上にカップを置いていく。

「そんなに大袈裟なものではないんだ。気にしていただかなくて結構。……ありがとう、ミシェル」

 旦那様は固い表情でブレイシー侯爵令嬢にそう言葉を返すと、紅茶を出した私に対して、幾分柔らかな顔でお礼を言ってくれた。

「だって……そんな……! 骨が折れていらっしゃるのですか? ロイド様。なぜそのようなことに? 遠乗り中に落馬でもなさいましたの?」
 
 遠乗りの帰りだったかどうかは知らないけれど、落馬が原因なのは事実だ。しかもそれは、私のせい。気まずくてならない。トレイを手にその場から下がりながら、私は再び申し訳なさを感じていた。
 旦那様は極めて淡々と答えている。

「まぁ、落馬といえば落馬だ。森の中を通っている時に、ちょっとしたアクシデントがあった。それだけだ。それよりも、今日は一体何の用事で? 前々から、君にははっきり伝えているはずだ。私が君の想いに応える日は来ない。用件が何もないのなら、もうここへは来ないでほしいと」

 旦那様がそう話している間、ご令嬢は黙っている。私は二人に背を向けて給湯所で片付けをしているので、その表情までは見えない。
 旦那様の言葉が途切れると、ブレイシー侯爵令嬢は静かに問うた。

「……森で……。……いつ頃のお話でございますか? それは」
「さぁ。はっきり覚えてはいないが、先月の初め頃だったか」
「……先月……」

 ご令嬢は小さくそう呟く。そして間を置かず、こちらに向かってコツコツと歩いてくる微かな音が聞こえ、嫌な予感がした私はおそるおそる振り返った。
 ブレイシー侯爵令嬢の姿が目前に迫ってきている。その後ろから、旦那様が怪訝な様子で声をかけた。

「ブレイシー侯爵令嬢? どうしたんだ」
「お前でしょう? ロイド様のお怪我の原因は」
「……っ、」

 旦那様を背に、部屋の片隅にいる私の正面に対峙したブレイシー侯爵令嬢の燃えるような真っ赤な目は、怒りと憎悪に満ちていた。心臓をわしづかみにされたような恐怖を覚える。私を見下ろし、閉じた扇で私の胸元を指し示すご令嬢は、とんでもない迫力だった。

「白状なさい。お前があのお方の体に傷を負わせたのね。どういうこと? お前、一体何をしたの?」

 どんどん吊り上がってくる眉尻。私が答えるまで引く気はないのだろうと判断し、私は正直に話した。

「仰る通りでございます。あの森で私がふらつき、倒れてしまったところに、たまたま旦那様の馬が……。旦那様は私を避けてくださり、その時の無理な動きで落馬し、お体を痛めてしまわれました。その償いがしたいという思いもあって、私はこちらで働かせていただいております。少しでも旦那様のお役に……」
「おっほほほほほほ!」

 私が懸命に事情を説明していると、突如ブレイシー侯爵令嬢の狂ったような高笑いが響き渡った。

「やっぱり私の思った通りでしたわ! ロイド様、この小娘、わざとあなた様に怪我をさせたのです。この公爵邸に入り込んで、あなた様に近付くためにね。だから申し上げたでしょう? 所詮は卑しい身分の小娘の考えること。あなた様の大切なお体がどうなろうとも、ハリントン公爵家当主に近付くという薄汚い野望を達成できればそれでよかったのよこの子は。身の程知らずの最低な子ね!」

 こちらを向いたまま、彼女は一気にそうまくし立てた。





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