姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

37. 見つめ合う瞬間

(……男の人の手ってたくましいなぁ)

 手首から肘までの間を撫でるように擦りながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。旦那様は細くなったと仰っていたけれど、それでも私の白くか細い腕とは全然違う。血管の浮き出た硬い腕や、大きな手のひら、骨ばった指。
 力の強そうな、男の人の手。

(……この方の腕に、私は抱きしめられたのよね……)

 ふいに、ブレイシー侯爵令嬢が訪れたあの日のことが脳裏をよぎる。私が旦那様と接触したのはわざとだと言いがかりをつけられ、叩かれそうになった時、旦那様はこのたくましい腕で私を引き寄せ胸の中に(いざな)った。

(あの時……格好よかったな。まるで私を窮地から救い出してくれる王子様みたいだったっけ)

 旦那様の腕に触れながらそんなことを考え、ふいに私は我に返った。

(……やだ。どのくらい時間が経ったかしら。なんだかいつもより、長くマッサージしてしまった気がする……)

 私は旦那様の腕から手を離し、もう終わっても大丈夫かと確認するために彼を見上げる。

 すると。

「────っ、」

 心臓がドキンと大きく跳ねる。
 旦那様の青い瞳が、まっすぐに私のことを見つめていたから。
 室内の灯りが映るその瞳は、キラキラと小さな輝きを帯び、息を呑むほどに美しい。その目が私を見つめたまま、艶めかしく揺れ動いた気がした。なぜだか動揺してしまい、言葉が出ない。
 私から目を逸らすことなく、ただこちらを見つめ続けている旦那様。その艶やかな銀色の前髪がやけに色っぽく見えて、心臓の鼓動が少しずつ速く、激しくなる。
 彼の唇がかすかに震え、薄く開かれる。緊張し、体が強張った、その時だった。

 ガチャッ、と音を立て、部屋の扉が開いた。ビックリして肩が跳ねる。

「ロイド様~、夜食作ってもらってきましたよー。サンドイッチとスープだけでいいっすか? 考えたら今日昼から何も食べてないですよね。腹減ったなぁ。……お、いたのかミシェル」

 張りつめていた空間を破るような、カーティスさんの大きな声。心臓をバクバクさせながらカーティスさんを見ていると、旦那様が立ち上がった。

「っ!」
「今日はもういい。ありがとう。……ゆっくり休みなさい」
「は、はいっ。では、失礼いたします」

 その言葉に私も立ち上がると、ぎこちなく足を運び、執務室を後にした。



(な……なんだったのかしら、さっきの間は……)

 廊下を早足で歩きながら、私は火照る頬を手で押さえる。ついさっき、旦那様と見つめ合ったあの時間を思い返しながら、私の心臓は執務室にいた時よりも激しく脈打っていた。

 その翌日から、私の気持ちは妙にそわそわと落ち着かなくなった。これまでまるっきり意識していなかった旦那様の色気や麗しさが、やたら際立って見える。
 一体どうしたというんだろう。

(旦那様が格好いいのは最初からなのに……。変なの、私)

 それからしばらく経つと、もうマッサージも必要ないだろうと旦那様に言われ、夜に執務室へ通うこともなくなった。
 最後の日、旦那様はひどく優しい顔をして私に言ってくれた。

「これまでありがとう、ミシェル。君のおかげで回復が早かった」
「い、いえ、そんな……。拙いマッサージでしたが、少しでも旦那様のお役に立てたならよかったです」

 照れながら私がそう答えると、旦那様はまた少し私の顔を見つめる。……最近、なんだかやけに見つめられることがある気がしてドギマギする。
 薄く唇を開き何か言いたげなそぶりを見せた旦那様は、一度口を閉じると、穏やかな声で再び言った。

「……ありがとう」



 変わらぬ日常が戻ってきた。私はアマンダさんや他の使用人の方々と同じようにハリントン公爵邸で働き、旦那様はすっかり回復した腕で今まで以上に毎日お忙しく飛び回っていた。

(そういえば、今後の私の処遇はどうなるのかしら……)

 いつの間にか当たり前の仕事になっているお庭周りの掃除をしながら、私はふと思った。
 この屋敷で使用人として雇ってもらうことになった当初は、まずは試用期間だと。よく働いてくれるようなら本採用とし、旦那様のお体の回復後は私の今後について改めて話し合おうと、そういう取り決めだったはずだ。

(うーん……。私としてはもうこのままハリントン公爵邸に使用人として置いていただけるとすっごくありがたいんだけど……。仕事は楽しいし、屋敷の人たちは皆いい方ばかりだし。もうすっかり馴染んじゃったわ。旦那様は、どうお考えかしら)

 近いうちに一度きちんとお話ししなくちゃね。
 私がそんなことを考えていた、その数日後、旦那様とカーティスさんが夕方過ぎに帰宅した。この機を逃してなるものかと、私は階段を上がろうとしている旦那様をつかまえる。

 



  
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