姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

38. 様子が違う

「お帰りなさいませ! 旦那様」
「……ああ、ミシェル。ただいま」

 私の呼びかけに振り向いてくれた旦那様は、私の姿を見て優しく微笑む。その笑顔の麗しさに、また胸がキュンと疼いた。

(……ダメダメ。何をちょっぴりときめいちゃってるのかしら、私。最近変だ。旦那様に対しては、常に冷静でいなくちゃ。本採用が遠のいてしまうわ)

 女性嫌いの旦那様の信頼を得てここで長く働かせてもらうためには、旦那様に決して浮ついた気持ちを持たないこと。これが絶対条件なんだから。
 自分にしっかりとそう言い聞かせると、この妙な胸のざわめきも、一瞬にしてスンッと落ち着いた。よし。

「あの、旦那様。お疲れのところ恐縮ですが……、あとで少しお時間をいただけますでしょうか」

 私がそう切り出すと、旦那様は真顔になって私のことをジッと見る。旦那様の後ろにいるカーティスさんも、一緒になって私を見ている。

「……もちろん、構わないが。何か困り事か」
「あ、いえ、そうではなくて……。その、そろそろ今後のことをご相談させていただきたいと思いまして」

 私の言葉を聞いた旦那様は、なぜだか私を見つめたまま固まった。……こ、この間は一体どういう意味なのかしら……。

「……分かった。あとで執務室に来るといい」
「はい。ありがとうございます」

 旦那様はようやく私から目を逸らして階段を上がりはじめたけれど、カーティスさんはまだここに留まったまま私のことを見ている。そして何を思ったか、階段を上がらず私のそばへスタスタとやって来た。

「カーティスさん?」
「……ふと気付いたんだけどさ、ミシェルお前、髪だいぶ伸びたなぁ」
「あ……、はい。そうですね。言われてみれば」

 たしかに。私がここへ来てすぐの頃、アマンダさんが私の髪を切り揃えてくれた。顎の辺りで綺麗に揃っていたその髪は、今もう三センチくらい伸びている。

「な? ここぐらいだったのがさ、ほら、もう肩につくぐらいになったじゃねぇか」

 そう言いながらカーティスさんは、鋏でチョキチョキするように指を動かしながら、私の耳の横辺りの髪を挟む。

「よかったなー。せっかくこんな綺麗な髪してるんだから、今度はもっと上手く伸ばしたらいいんじゃねぇの?」
「ふふ、そうですね」

 肩の辺りまで伸びた私の毛先を手のひらで掬っているカーティスさんに向かってそう答えると、階段の半ばにいた旦那様が突然大きな声を出した。

「よせ! カーティス! 何をしているんだ」
「……へ?」

 私もカーティスさんも驚いて、同時に旦那様を見上げる。

「何してるって……。ミシェルに髪伸びたなーって話してただけですよ。な?」
「だけじゃないだろう。年頃の女性の髪に許しもなく勝手に触れるな。失礼だぞ」
「へぇ?」

 間の抜けた声を出すカーティスさんだけでなく、私も思わずポカンとしてしまった。気さくなカーティスさんがこうして私の髪に触れることは、別に初めてじゃない。たしか髪を切ってもらった時も、カーティスさんは旦那様の前で私の頭をポンポンしてたはずだ。
 カーティスさんもきっと私と同じことを考えていたのだろう。怪訝な声で旦那様に確認している。

「……そうですか?」
「そうだ」
「ダメですか?」
「しつこいぞ。今そう言っただろう。早く来い」
「えぇ……? でも俺前からミシェルの頭わしゃわしゃしたり、結構してたよなぁ? な?」
「いい加減にしろ! だから今後はもう止せと言っているんだ。お前、仮にもハリントン公爵家当主の付き人だろう。そろそろ立場に相応しい品格を身に着けろ。……もういい。続きは後だ。行くぞ」
「はぁーい。何だよ急に……。お、アマンダお疲れ! じゃあなミシェル」

 どうも不満げなカーティスさんだったけれど、いつの間にか私の後ろに来ていたアマンダさんに手をあげて軽く挨拶をすると、身軽な動きで階段を駆け上がり旦那様のもとへと行ってしまった。
 二人の姿が見えなくなると、私は後ろを振り返る。
 そこには、なんだか少し悲しそうな表情をしたアマンダさんが立っていた。

「アマンダさん……」

 私が声をかけると、彼女は何かを振り切るように明るい笑顔を作る。

「……あなたを呼びに来たのよ、ミシェルさん。旦那様に、何かお話があるんでしょう? 急いで先に夕食を食べましょう。旦那様も今お帰りになったばかりだから、書簡のチェックなんかもあるでしょうし。今のうちに。ね?」
「あ、はい……」

 アマンダさんはこうしてずっと私に優しくしてくれているけれど、時々、本当に時々、こんな切ない顔をする時がある。

(……一度ちゃんと話しておく必要があるのかもな……。私は別に旦那様に対してそういう好意を持っているわけじゃないんだって)

 そんなことを考えながら食堂に移動する間中、明るくお喋りしてくれるアマンダさんの話を聞き、私は相槌を打っていた。





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