姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

51. 母の懇願(※sideロイド)

 母のその言葉に、思わず露骨に溜め息をついてしまう。

「またその話ですか……。もう何年も前から、私は宣言していたはずです。結婚し子をなすつもりはないと。後継ぎは近い親族の中から最適な人物を選べばいいではありませんか。従兄弟たちだっております。父上にも、私は生前ずっとそう申し上げてきましたが」
「でもお父様だって、本心では納得していたわけではなかったわ。あなたもそれは分かっていたはずよ。あなたがあまりにも頑なだから、しばらくこの話は保留にしておこうと、そうなっていただけ。そうこうしているうちに……お父様は儚くなってしまって……」
「…………」

 母はここぞとばかりに悲しげな顔をする。諦めてくれたものだとばかり思っていたのに……困ったものだ。

「……私が女性というものをどれほど嫌悪しているか、母上はよく分かってくださっているはずです」
「ええ、ええ。よく分かっているわ。幼い頃から、何度も酷い目に遭ってきたものね。信頼して任せていた乳母やメイドがあなたに不埒な悪戯をしたと知った時には、私だって卒倒しそうになったし、あなたに熱を上げていた伯爵家のご令嬢に相談事があるからと言って呼び出され、半ば軟禁されるようにお屋敷に閉じ込められた時には、あなたの護衛たちが多少乱暴な方法で解決したわよね。あれは……あなたが十三歳の時だったかしら」
「…………」
「お父様が強引に設けた見合いの席では、媚薬の混じったきつい香水をつけてきたご令嬢に体を押し付けられ、その匂いがとれずにあなたは数日間苦しんでた。あなたにずっと熱烈な恋文を送ってきてくださっていた隣国の第四王女は、あなたに振り向いてもらえないからと言ってついに自殺未遂までしてしまって、あやうく国際問題に発展するところだったわよね……」

 ……こうしてあらためて聞くと、私は本当にろくな目に遭っていない。女性に関しては。

「だけどね、ロイド」

 母は紅茶をテーブルに置き、居住まいを正して私の目を見つめる。

「世の中は、そんな女性ばかりではないの。自分の欲を通すばかりでなく、あなたのことを尊重し、そばで支えていきたいと思ってくださる誠実な方もきっといるわ」
「……そうでしょうか。これまでの二十四年間の人生では、一人として出会ったことはありませんが。女性たちが私を望むのは、この無駄に目立つ容姿や、何よりハリントン公爵家当主の肩書きがあるからでしょう」

 そう断言した時、私の脳裏をまた一人の女性がよぎった。
 ピンクブロンドの髪をきらめかせた、朗らかな笑顔の彼女の顔が。
 そしてその瞬間、私の心臓が大きな音を立てた。

(……彼女なら、どうだろうか)

 日々真面目に仕事に取り組み、施設の子どもたちと全力で遊び、老人らには優しい笑顔を向け、夜の執務室に二人きりになって私の腕をマッサージしても、私に媚びを売ることもしない。動揺してしまったこちらが恥ずかしくなるほど、何の下心もなくただ淡々と私の世話をしてくれた、彼女なら。

「ロイド」
「……っ!」

 しまった。またミシェルのことを考え、上の空になってしまっていた。
 慌てて母の顔を見ると、母は今にも泣き出しそうな、この上なく悲しげな表情で私を見ていた。

「お願いよ、ロイド。一度だけでいいから、私の選んだ女性たちとお話しをしてみてはくれないかしら。一度ゆっくり話してみて、それでもあなたがやはりどなたも気に入らないと言うのであれば、私も今度こそ本当に引き下がるわ。もう二度と無理強いはしない。……ね? この老いた母の最後の頼み事だと思って、一度だけ」

 何が老いた母の最後の頼みだ。母はまだ四十代半ば。おそらくは同年代の貴婦人たちの誰よりも美しさを保ち輝いているだろう。これを老いた母と表現するのならば、この国の婦人は皆ヨボヨボの老人だ。
 だが。

「…………分かりました。ただし、本当に今回きりです。私の心がわずかばかりも揺らがなければ、もう二度とこのような話はしないでいただきたい。その時は私は、……、」

 本当に結婚はしない。
 そう言おうとした時、ミシェルの屈託のない笑顔がまた心にふわりと浮かんだ。

「……自分が心底納得できる相手を見つけるまでは、結婚はしませんので」
 
 何となくそう呟くと、母は花が咲くように笑った。

「まぁ……! よかったわ、あなたがいいお返事をくれて。ありがとう、ロイド。とても楽しみだわ。私がしっかりと吟味した、素晴らしいお嬢さん方ばかりをお招きしてあるのよ」

 さっきまでの泣き出しそうな表情はどこへやら、少女のように目を輝かせてウキウキしはじめた母を見て、私は再び溜め息をついたのだった。





< 51 / 74 >

この作品をシェア

pagetop