姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
55. 茶会のはじまり
いよいよ茶会が始まった。
旦那様が席に座るとすぐに、私たちメイドは一斉に動き出し、全員に紅茶をふるまう。新参の私は末席側に行かざるを得ず、必然的にパドマとエヴェリー伯爵夫人に紅茶を出す羽目になった。これまでにない緊張感に、無様に手が震える。一体何を言われることか。きっと周囲に聞こえないように、ひどい言葉で罵倒されるのだろう。そう覚悟していた。
ところが、パドマも伯爵夫人も、そばに来て紅茶をサーブする私に一言も発しない。まるで取るに足らないただのメイドの一人に対する態度だ。さっきからあんなに私のことを睨んでいたというのに。
予想外に紅茶や茶菓子を普通にふるまいその場を離れる事ができ、私はホッとして小さく息をついた。奥の方では早速談笑が始まっている。
「ご無沙汰しておりますわ、公爵閣下。娘のアリシアがあなた様にお会いできるのを本当に心待ちにしておりましたのよ」
「ご、ごきげんよう、公爵閣下」
美しいご令嬢が少し上擦った声で、旦那様を見つめてご挨拶をしている。近くの席にいる他の令嬢たちも、皆目を輝かせて旦那様を見つめている。そんな中で、ブレイシー侯爵令嬢は落ち着いた雰囲気で静かに紅茶を傾けていた。
それからしばらくは、ご婦人方が我先にと旦那様に向かって娘さんのアピールを始めていた。我が娘は経営にもとても興味がありまして……、うちの娘は貴族学園を首席で卒業しましたの、うちの娘は先月まで留学をしておりまして、他国の文化や言語にも非常に長けており……などなど。それをハリントン前公爵夫人が相槌を打って聞きながら、時折内容を補足して旦那様に説明したりしている。
たしかにこの様子を見ていれば、この茶会が旦那様の奥方探しであることは間違いなさそうだ。
こちらに背を向けている旦那様の表情をうかがい知ることはできないが、旦那様はほとんど言葉を発することもなくただ静かに座っていらっしゃった。時折紅茶を口にしながら、話しかけられれば小さな声で短く返事をする。……あまり楽しそうではないが、隣に座っている令嬢などはもう完全に旦那様の顔に釘付けだった。うっとりとした横顔がこちらからでもよく見える。
ブレイシー侯爵令嬢とパドマたちだけが、浮かれた様子を一切見せずにただ静かに座っていて、それが不気味で仕方なかった。
茶会はハリントン前公爵夫人と集まったその他のご婦人、ご令嬢たちでそれなりに盛り上がり、皆終始にこやかに語り合っていた。私たちメイドは時折紅茶をサーブしたり茶菓子を補充したりしながら、騒がしくしないよう慎重に動いている。
しばらくして談笑のざわめきがなんとなく少し静まったタイミングで、ハリントン前公爵夫人がブレイシー侯爵令嬢に優しく声をかけた。
「いかが? ディーナ嬢。楽しんでいらっしゃる?」
「ええ、とても。こうしてまたハリントン公爵邸にお邪魔できて、夫人には感謝しておりますわ。ロイド様に、どうしてもお話ししたいこともございましたし」
ブレイシー侯爵令嬢が優雅な笑みを浮かべ、静かな声でそう返事をすると、ハリントン前公爵夫人は小さく頷いた。
「そうだったわね。……ロイド、あなたとディーナ嬢の間に何か行き違いがあったことは彼女から聞いているわ。ディーナ嬢はね、あなたのことをとても気にかけてくださっているの。先日はわざわざ私の滞在している別邸にまで足を運んでくださってね、あなたを心配するあまりよかれと思ってかけた言葉で、あなたが気分を害してしまったようだって、とても思いつめていらっしゃったのよ。あなたがまた随分と頑なな態度をとったようだから、私も申し訳なくなってしまって……。二人がきちんとお話しできるよう、いい機会だからとお招きしたのよ」
どうやらブレイシー侯爵令嬢は旦那様からここへの出入り禁止をくらったことを、ハリントン前公爵夫人に報告して泣きついたらしい。その時の彼女がどんな態度だったのかは分からないけれど、人の良さそうな夫人は放っておけなかったのだろう。
旦那様の表情は相変わらず分からないけれど、なんとなくその背中に重たい空気を感じる気がする。
「ありがとうございます、夫人。あの場では夫人に詳しくお話ししませんでしたが、今日は僭越ながらもう一度ロイド様に、あの時私が申し上げたことをきちんとご説明したいのです。そのために、今日は夫人に我が儘を申し上げて、あちらの方々も一緒にご招待いただきましたのよ。ね? エヴェリー伯爵夫人、パドマさん」
ブレイシー侯爵令嬢に向いていた皆の視線が、一斉に末席の二人へと動く。その瞬間、私の心臓が痛いほど大きく高鳴った。どうしようもないほどの嫌な予感に、背中が汗ばみ、クラリとめまいがする。
……まさか……
ブレイシー侯爵令嬢に声をかけられたエヴェリー伯爵夫人は悠然と微笑み、そしてはっきりと言い放った。
「さようでございます、ブレイシー侯爵令嬢。ここにおります我が娘パドマがブレイシー侯爵令嬢から打ち明けられたというそのお話を聞いた時には、本当に驚きましたわ。そして危惧しましたの。どうやらこのままでは、我が王国の重鎮であるハリントン公爵閣下が、そのお人の良さからろくでもない小娘に騙され、甚大な被害を被ってしまうことになりかねないと。……身寄りのないあわれな平民のふりをしてハリントン公爵邸に入り込み、そちらに平然と突っ立っている、ミシェル・フランドルのせいでね」
エヴェリー伯爵夫人はそう言い放つと、鋭い目つきで私のことを真っ直ぐに指さしたのだった。
旦那様が席に座るとすぐに、私たちメイドは一斉に動き出し、全員に紅茶をふるまう。新参の私は末席側に行かざるを得ず、必然的にパドマとエヴェリー伯爵夫人に紅茶を出す羽目になった。これまでにない緊張感に、無様に手が震える。一体何を言われることか。きっと周囲に聞こえないように、ひどい言葉で罵倒されるのだろう。そう覚悟していた。
ところが、パドマも伯爵夫人も、そばに来て紅茶をサーブする私に一言も発しない。まるで取るに足らないただのメイドの一人に対する態度だ。さっきからあんなに私のことを睨んでいたというのに。
予想外に紅茶や茶菓子を普通にふるまいその場を離れる事ができ、私はホッとして小さく息をついた。奥の方では早速談笑が始まっている。
「ご無沙汰しておりますわ、公爵閣下。娘のアリシアがあなた様にお会いできるのを本当に心待ちにしておりましたのよ」
「ご、ごきげんよう、公爵閣下」
美しいご令嬢が少し上擦った声で、旦那様を見つめてご挨拶をしている。近くの席にいる他の令嬢たちも、皆目を輝かせて旦那様を見つめている。そんな中で、ブレイシー侯爵令嬢は落ち着いた雰囲気で静かに紅茶を傾けていた。
それからしばらくは、ご婦人方が我先にと旦那様に向かって娘さんのアピールを始めていた。我が娘は経営にもとても興味がありまして……、うちの娘は貴族学園を首席で卒業しましたの、うちの娘は先月まで留学をしておりまして、他国の文化や言語にも非常に長けており……などなど。それをハリントン前公爵夫人が相槌を打って聞きながら、時折内容を補足して旦那様に説明したりしている。
たしかにこの様子を見ていれば、この茶会が旦那様の奥方探しであることは間違いなさそうだ。
こちらに背を向けている旦那様の表情をうかがい知ることはできないが、旦那様はほとんど言葉を発することもなくただ静かに座っていらっしゃった。時折紅茶を口にしながら、話しかけられれば小さな声で短く返事をする。……あまり楽しそうではないが、隣に座っている令嬢などはもう完全に旦那様の顔に釘付けだった。うっとりとした横顔がこちらからでもよく見える。
ブレイシー侯爵令嬢とパドマたちだけが、浮かれた様子を一切見せずにただ静かに座っていて、それが不気味で仕方なかった。
茶会はハリントン前公爵夫人と集まったその他のご婦人、ご令嬢たちでそれなりに盛り上がり、皆終始にこやかに語り合っていた。私たちメイドは時折紅茶をサーブしたり茶菓子を補充したりしながら、騒がしくしないよう慎重に動いている。
しばらくして談笑のざわめきがなんとなく少し静まったタイミングで、ハリントン前公爵夫人がブレイシー侯爵令嬢に優しく声をかけた。
「いかが? ディーナ嬢。楽しんでいらっしゃる?」
「ええ、とても。こうしてまたハリントン公爵邸にお邪魔できて、夫人には感謝しておりますわ。ロイド様に、どうしてもお話ししたいこともございましたし」
ブレイシー侯爵令嬢が優雅な笑みを浮かべ、静かな声でそう返事をすると、ハリントン前公爵夫人は小さく頷いた。
「そうだったわね。……ロイド、あなたとディーナ嬢の間に何か行き違いがあったことは彼女から聞いているわ。ディーナ嬢はね、あなたのことをとても気にかけてくださっているの。先日はわざわざ私の滞在している別邸にまで足を運んでくださってね、あなたを心配するあまりよかれと思ってかけた言葉で、あなたが気分を害してしまったようだって、とても思いつめていらっしゃったのよ。あなたがまた随分と頑なな態度をとったようだから、私も申し訳なくなってしまって……。二人がきちんとお話しできるよう、いい機会だからとお招きしたのよ」
どうやらブレイシー侯爵令嬢は旦那様からここへの出入り禁止をくらったことを、ハリントン前公爵夫人に報告して泣きついたらしい。その時の彼女がどんな態度だったのかは分からないけれど、人の良さそうな夫人は放っておけなかったのだろう。
旦那様の表情は相変わらず分からないけれど、なんとなくその背中に重たい空気を感じる気がする。
「ありがとうございます、夫人。あの場では夫人に詳しくお話ししませんでしたが、今日は僭越ながらもう一度ロイド様に、あの時私が申し上げたことをきちんとご説明したいのです。そのために、今日は夫人に我が儘を申し上げて、あちらの方々も一緒にご招待いただきましたのよ。ね? エヴェリー伯爵夫人、パドマさん」
ブレイシー侯爵令嬢に向いていた皆の視線が、一斉に末席の二人へと動く。その瞬間、私の心臓が痛いほど大きく高鳴った。どうしようもないほどの嫌な予感に、背中が汗ばみ、クラリとめまいがする。
……まさか……
ブレイシー侯爵令嬢に声をかけられたエヴェリー伯爵夫人は悠然と微笑み、そしてはっきりと言い放った。
「さようでございます、ブレイシー侯爵令嬢。ここにおります我が娘パドマがブレイシー侯爵令嬢から打ち明けられたというそのお話を聞いた時には、本当に驚きましたわ。そして危惧しましたの。どうやらこのままでは、我が王国の重鎮であるハリントン公爵閣下が、そのお人の良さからろくでもない小娘に騙され、甚大な被害を被ってしまうことになりかねないと。……身寄りのないあわれな平民のふりをしてハリントン公爵邸に入り込み、そちらに平然と突っ立っている、ミシェル・フランドルのせいでね」
エヴェリー伯爵夫人はそう言い放つと、鋭い目つきで私のことを真っ直ぐに指さしたのだった。