姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

65. 思い出を辿る

「あ……ありがとうございます、旦那様……! 嬉しい……っ」
 
 旦那様が夜遅くにお戻りになった、その翌日。私室に呼ばれ伺うと、そこで信じられないものを手渡された。
 それは、あのエヴェリー伯爵邸に置いてきてしまった、亡き両親の思い出の品々が入った私の大切な宝箱だった。

「君のその笑顔が見られてよかった、ミシェル。手をつけた様子はなかったから大丈夫だとは思うが、一応中を確認してみるといい」

 旦那様はなぜだか私にソファーを勧め、そしてご自分も隣に腰かけた。距離が近くて、ドキドキしてしまう。まるで、先日私が旦那様に過去の全てを打ち明けた日のようだ。
 胸の高鳴りを抑えながら、私はそっと蓋を開ける。中を見た瞬間、込み上げてくる感情で視界が滲んだ。

「……あります、全部……。全部ちゃんと、ここに」
「よかった。……見せてくれるか? 私にも」
「は、はい。その……大したものではないのですが……」
「構わない。君にとって何よりも大切なものなのだろう?」

 旦那様がそう言ってくれるから、私は一つ一つ取り出しては説明していく。こんなものを見て、旦那様が楽しいのかは分からないけれど……。

「これは、小さい頃に私が髪につけていたリボンや花飾りです。毎朝母が私に、今日はどれがいい? と聞いて選ばせてくれて、その日の気分で変えていました。どれもお気に入りで、これらを見ていると、母が私の髪を梳いて結ってくれていた、あの優しい手の感触を思い出すんです……」
「そうか。優しい母上だったんだな。お会いしてみたかった。君がこんなにも朗らかで優しい女性に成長したのは、ご両親の愛情の賜物だろう」
「……旦那様……」

 気のせいだろうか。なんだか……旦那様の私を見つめる瞳が、以前よりさらに柔らかく、慈愛に満ちたものになっている気がする。

(私の境遇を知って、同情してくださっているからかしら。本当にどこまでもお優しい方なんだな……)

 ジッとこちらを見つめてくる旦那様に照れていると、彼は箱の中で綺麗に折り畳まれた数枚の紙に興味を示した。

「……それは? ご両親からの手紙か何かかい?」
「あ、これは……恥ずかしいのですが……」

 そう言って私は、古くなった紙たちを破れてしまわないよう慎重に開いていく。
 そこには、父が描いたいくつかの動物の絵の隣に、小さな私が同じように描こうとした動物らしきものの絵や、父が書いた文字の隣に、こちらも私が真似して書いた文字のようなのたくった線が並んでいた。
 旦那様はそれらの紙きれを手に取ると、無言のまままじまじと見つめている。恥ずかしくて頬がじんわりと熱を帯びた。

「父が私に、よく絵や文字を教えてくれていたんです。母が亡くなり、伯父の……エヴェリー伯爵家の使いの人に連れて行かれるとなった時に、何か思い出の品物を持っていきたくて。急かされながら慌ててかき集めたものの中に、そんな小さな頃に描いていた紙きれも入っていました。なんだか捨てられずに、以来ずっと宝箱の中に……。くだらないものに見えると思いますが……」

 言い訳がましくそう言うと、旦那様はきっぱりと否定する。

「まさか。これのどこがくだらないものか。……父君の隣に座ってたどたどしい手つきで絵や文字を描いている幼い君の姿が目に浮かぶようだ。想像するだけで、愛らしくてたまらない。……見せてくれてありがとう、ミシェル。ずっと大切にとっておいて、また私に見せておくれ」
「……旦那様……」

 この方はどうして、こんなにも優しいのだろう。ただの使用人の一人のために、こんなに親身になり、心を砕いてくださって。

「……旦那様、この形見の品を取り戻すためだけに、わざわざエヴェリー伯爵邸まで出向いてくださったのですよね……? 感謝してもしきれません。こんな些細なものたちでも、私にとっては何より大切な宝物ですから。……本当に、ありがとうございます」

 私がそう伝えると、旦那様は目を細めて私の髪をそっと撫でた。

「当然のことだ。私は君のためならば何でもする男だぞ。これからは何かあれば、遠慮なく私を頼ってほしい。君の笑顔が見られるのならば、それに勝る喜びなど私にはないのだから」
「……」

 ねぇ、こんな雇用主が、他にいる……?
 このお屋敷で働いている人たちは、皆何かあるたびに旦那様からこんな風に守られて生活しているの……?
 
(穏やかでいい人たちばかりだとは思っていたけれど、これほど大きな旦那様の愛情に包まれているのなら、それも納得だわ……)

「他には? 君とご両親の思い出の品々を、もっと私に教えておくれ」
「あ、はい。……これは、六歳の誕生日の時に母が作ってくれた手作りのブローチで……」

 旦那様の底知れぬ包容力に舌を巻きながら、私はそれからしばらくの間、ずっと自分だけのものだった思い出たちを旦那様に披露していったのだった。




 
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