姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
66. すれ違いはどこまでも
宝箱の中の思い出の品を見ながらひとしきり語り合った後、私は旦那様に再びお礼を言って箱を持ち、立ち上がった。
「何度お礼を申し上げても足りませんが……本当にありがとうございました、旦那様。こうして手元に戻ってきたからには、一生大切にいたします」
感謝の気持ちを込めてそう伝えると、旦那様は少し困ったように微笑む。
「そうだね。大事に持っているといい。……もう行ってしまうのかい? 今日はまだ少し時間があるから、君さえよければ紅茶でも飲みながら話したかったのだが」
「えっ? あ、ありがとうございます。ですが、仕事がありますし……」
戸惑いながらそう答えると、旦那様は珍しくクスクスと声を出して笑った。
「君は本当に真面目だな。もう働く必要などないのに。……だがまぁ、君らしいな。好きにしているといい。私は早急に書類を整えよう」
(…………?)
書類……? 何の書類だろう。旦那様の仰っていることがよく分からない。それに、もう働く必要ないって……?
私が口を開くより先に、旦那様の方が私に尋ねた。
「……その服装も、気に入っているのか? それともまだ自分がメイドの立場だから、着なくてはと思っているのかな」
旦那様は私の頭のホワイトブリムに少し触れながら、そんなことを言う。ますます混乱しつつも、私は答えた。
「……は、はい。こちらの制服はとても可愛くて綺麗で、気に入ってもおります、し……。わ、私はメイドですから」
なんだか、おかしい。会話が噛み合っていない気がする。
私は先日、旦那様から「この手で君を守っていきたい」と……、つまり、雇用主として今後も私の生活を守っていきたいと、そう言っていただいた。はずだ。
それなのに、まるで私がこのメイドの制服を着ていることが間違っているかのように聞こえるのだけど……。
それについて尋ねようとした時、旦那様が言った。
「たしかに、君はメイドの制服を着ていてもとても愛らしいが、今後は違う衣装が必要になってくる。……早急に仕立て屋を呼ぼう」
「……??」
それから数日後、再び旦那様に呼ばれて私室を訪ねると、そこには数人の見知らぬ女性たちの姿があった。旦那様が私を近くに呼び寄せる。
「ミシェル、この者たちはハリントン公爵家が代々贔屓にしている服飾店のデザイナーや仕立て職人らだ。君のドレスをいくつか作ることにしたから、今日は採寸やそのデザインを決めていく」
「ド、ドレス、でございますか……っ!?」
なぜ!? なぜ突然ドレスを!?
私が驚いていると、目の前の女性たちが恭しく挨拶をくれる。
「お初にお目にかかります、ミシェル様」
「どうぞよろしくお願い申し上げます、ミシェル様」
「では、頼む。くれぐれも露出の多いデザインだけは避けてくれ。この可憐な美貌を引き立てる、清楚で気品漂うドレスがいい」
「承知いたしました、ハリントン公爵閣下」
旦那様の注文とともに、女性たちが私を取り囲み採寸を始めた。
(…………??)
「あ、あのっ。旦那様……。なぜ急に、私のドレスを? 私、そんな高価なものを買うようなお金は……」
体中を測られながら首だけ旦那様の方を振り返り、私は訴えた。すると旦那様はまた困ったように笑いながら答える。
「君は金銭のことなど一切気にしなくていい。今後はドレスが必要となる場面も多く出てくるだろう。早めに準備を始めておかなくてはな」
「で、ですから……なぜ急にドレスが……?」
「今後は社交の場に出ることが何度もある。まさか君を、ハリントン公爵家のメイドの制服で人前に出すわけにもいかないだろう?」
……社交の場……?
(あ……そうか。旦那様は私が貴族の娘だと知ったから、今後は貴族としてそういった場に出ることがあると、そう仰っているのね)
「ですが、旦那様……。私はこれまで一度もパーティーや夜会などに出席したことはございません。ご存じの通りエヴェリー伯爵家ではずっと使用人として生活しておりましたし、社交界デビューさえしていなくて……。私をそのような場に招待してくださるような知り合いも、誰一人おりませんし」
「大丈夫だ。君は何も心配しなくていい。エスコートするのは私なのだから。どのような集まりでも、安心して私のそばに立っていればいい。皆への紹介も、この私がする。君に心細い思いなどさせるものか」
「っ? だ、旦那様が、私をエスコート……ですか……?」
「無論」
その言葉に、私はますます混乱する。こちらをジッと見守る旦那様の視線を感じながら、体中を何人もの女性たちの手に預け、私はめまぐるしく頭を回転させた。
(旦那様が、私をエスコート……。もしかして旦那様は、私の後見人になってくださるおつもりなのかしら。私を社交界の皆様に紹介し、貴族として生きていくための基盤を作ろうとしてくださってる……? えぇ……い、いいんだけどな、私は今のままで……。たとえ両親が貴族家の出身だったとしても、私はずっと平民として生きてきたわけだし、ここでメイドとして働く生活で充分なのだけど……)
「こちらの生地はいかがでしょうか?」
「それはミシェルには少し濃すぎる。彼女にはもっと、淡い色味の方がいい」
「ではこの生地には……」
「そちらのレースを合わせてくれ。刺繍は特に繊細な柄を」
「公爵閣下、こちらの生地でこのようなマーメイドラインのドレスを仕立てるのもよろしいかと存じますが……」
「ダメだ。すまないが、あまり体のラインが目立つものも控えてくれ。……背中もそんなに開いていなくていい」
もっとよく話し合いたいのだが、旦那様は向こうの方でデザイナーの女性たちと白熱した議論を交わしはじめていて、とても口を挟める雰囲気ではなくなった。
何かがおかしい。
漫然とした不安を抱え、けれど私は私のためのドレスを真剣に選んでいる旦那様の横顔をただ見守っていることしかできなかった。
「何度お礼を申し上げても足りませんが……本当にありがとうございました、旦那様。こうして手元に戻ってきたからには、一生大切にいたします」
感謝の気持ちを込めてそう伝えると、旦那様は少し困ったように微笑む。
「そうだね。大事に持っているといい。……もう行ってしまうのかい? 今日はまだ少し時間があるから、君さえよければ紅茶でも飲みながら話したかったのだが」
「えっ? あ、ありがとうございます。ですが、仕事がありますし……」
戸惑いながらそう答えると、旦那様は珍しくクスクスと声を出して笑った。
「君は本当に真面目だな。もう働く必要などないのに。……だがまぁ、君らしいな。好きにしているといい。私は早急に書類を整えよう」
(…………?)
書類……? 何の書類だろう。旦那様の仰っていることがよく分からない。それに、もう働く必要ないって……?
私が口を開くより先に、旦那様の方が私に尋ねた。
「……その服装も、気に入っているのか? それともまだ自分がメイドの立場だから、着なくてはと思っているのかな」
旦那様は私の頭のホワイトブリムに少し触れながら、そんなことを言う。ますます混乱しつつも、私は答えた。
「……は、はい。こちらの制服はとても可愛くて綺麗で、気に入ってもおります、し……。わ、私はメイドですから」
なんだか、おかしい。会話が噛み合っていない気がする。
私は先日、旦那様から「この手で君を守っていきたい」と……、つまり、雇用主として今後も私の生活を守っていきたいと、そう言っていただいた。はずだ。
それなのに、まるで私がこのメイドの制服を着ていることが間違っているかのように聞こえるのだけど……。
それについて尋ねようとした時、旦那様が言った。
「たしかに、君はメイドの制服を着ていてもとても愛らしいが、今後は違う衣装が必要になってくる。……早急に仕立て屋を呼ぼう」
「……??」
それから数日後、再び旦那様に呼ばれて私室を訪ねると、そこには数人の見知らぬ女性たちの姿があった。旦那様が私を近くに呼び寄せる。
「ミシェル、この者たちはハリントン公爵家が代々贔屓にしている服飾店のデザイナーや仕立て職人らだ。君のドレスをいくつか作ることにしたから、今日は採寸やそのデザインを決めていく」
「ド、ドレス、でございますか……っ!?」
なぜ!? なぜ突然ドレスを!?
私が驚いていると、目の前の女性たちが恭しく挨拶をくれる。
「お初にお目にかかります、ミシェル様」
「どうぞよろしくお願い申し上げます、ミシェル様」
「では、頼む。くれぐれも露出の多いデザインだけは避けてくれ。この可憐な美貌を引き立てる、清楚で気品漂うドレスがいい」
「承知いたしました、ハリントン公爵閣下」
旦那様の注文とともに、女性たちが私を取り囲み採寸を始めた。
(…………??)
「あ、あのっ。旦那様……。なぜ急に、私のドレスを? 私、そんな高価なものを買うようなお金は……」
体中を測られながら首だけ旦那様の方を振り返り、私は訴えた。すると旦那様はまた困ったように笑いながら答える。
「君は金銭のことなど一切気にしなくていい。今後はドレスが必要となる場面も多く出てくるだろう。早めに準備を始めておかなくてはな」
「で、ですから……なぜ急にドレスが……?」
「今後は社交の場に出ることが何度もある。まさか君を、ハリントン公爵家のメイドの制服で人前に出すわけにもいかないだろう?」
……社交の場……?
(あ……そうか。旦那様は私が貴族の娘だと知ったから、今後は貴族としてそういった場に出ることがあると、そう仰っているのね)
「ですが、旦那様……。私はこれまで一度もパーティーや夜会などに出席したことはございません。ご存じの通りエヴェリー伯爵家ではずっと使用人として生活しておりましたし、社交界デビューさえしていなくて……。私をそのような場に招待してくださるような知り合いも、誰一人おりませんし」
「大丈夫だ。君は何も心配しなくていい。エスコートするのは私なのだから。どのような集まりでも、安心して私のそばに立っていればいい。皆への紹介も、この私がする。君に心細い思いなどさせるものか」
「っ? だ、旦那様が、私をエスコート……ですか……?」
「無論」
その言葉に、私はますます混乱する。こちらをジッと見守る旦那様の視線を感じながら、体中を何人もの女性たちの手に預け、私はめまぐるしく頭を回転させた。
(旦那様が、私をエスコート……。もしかして旦那様は、私の後見人になってくださるおつもりなのかしら。私を社交界の皆様に紹介し、貴族として生きていくための基盤を作ろうとしてくださってる……? えぇ……い、いいんだけどな、私は今のままで……。たとえ両親が貴族家の出身だったとしても、私はずっと平民として生きてきたわけだし、ここでメイドとして働く生活で充分なのだけど……)
「こちらの生地はいかがでしょうか?」
「それはミシェルには少し濃すぎる。彼女にはもっと、淡い色味の方がいい」
「ではこの生地には……」
「そちらのレースを合わせてくれ。刺繍は特に繊細な柄を」
「公爵閣下、こちらの生地でこのようなマーメイドラインのドレスを仕立てるのもよろしいかと存じますが……」
「ダメだ。すまないが、あまり体のラインが目立つものも控えてくれ。……背中もそんなに開いていなくていい」
もっとよく話し合いたいのだが、旦那様は向こうの方でデザイナーの女性たちと白熱した議論を交わしはじめていて、とても口を挟める雰囲気ではなくなった。
何かがおかしい。
漫然とした不安を抱え、けれど私は私のためのドレスを真剣に選んでいる旦那様の横顔をただ見守っていることしかできなかった。