姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

67. 不安は限界に

 結局旦那様はそのまま何着ものドレスを注文し、そして慌ただしく仕事に出かけていった。私は言いようのない不安を抱えたまま、これまで通りメイドの仕事を続けていた。
 でも何をしていても、これから先のことが心配でたまらない。

(私はもう……ここにいられないのかしら。フランドル男爵家とエヴェリー伯爵家の血を引いていると分かったから、このままメイドとして勤めることはできないの……? でもそれだと、旦那様が仰っていた“守っていく”という言葉の意味は……。……やっぱり、社交界での後見人という意味だったのかしら……)

「大丈夫? ミシェルさん」

 掃除をしながらボーッとしてしまっていた私に、アマンダさんが気遣わしげに声をかけてくれる。

「……アマンダさん」
「ね、やっぱり無理してるんじゃない? あの日以来、あなた時々疲れているように見えるわ。……傷ついたでしょうけど、もう済んだことよ。夜はゆっくり眠らなきゃ。……ね? 大丈夫よ。あんなひどいことを言う人たちを、旦那様が相手になさるはずがないわ」

 アマンダさんは私が茶会でよその貴族たちに糾弾されていたのを間近で見ているものだから、ずっとそのことを気にしてくれている。本当に優しい人だ。

(このアマンダさんたちとも、もう一緒にいられなくなる……?)

 旦那様は私をどうされるおつもりなのだろうか。「もう働く必要はない」、「書類を整える」などと仰り、あんなにドレスを注文して……。
 私は、ここを出て別のどこかで暮らすことになるの……?

 とにかく、一度旦那様ときちんとお話がしたい。怖いけど、旦那様が私の処遇をどう考えているのか、はっきりと確認しなくては。

 そんな風に考えながらアマンダさんに曖昧な返事をして、私はバケツの水を替えるために廊下を運んでいた。
 すると出先から戻ったらしいカーティスさんが、たくさんの荷物を抱えて執務室の方に向かって歩いているのにすれ違った。カーティスさんは私を見るとパッと目を輝かせた。

「おお! ミシェル! なんかすげぇ久しぶりに会った気がするな。元気か?」
「あ、はい……。一応、元気です」
「ははっ。なんだそりゃ」

 最後にカーティスさんと話したのは、あのお茶会よりも前だったっけ。そんなことをぼんやりと考えていると、カーティスさんは荷物を降ろした片手で私の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「よかったなぁ、本当。幸せになれよ。……っと、そっか。もうこんな風に触るなって前にロイド様に怒られたっけな。今思うとさぁ、あれもそういう意味だったんだな。はははは」

(……?)

 幸せになれよ……? 何? どういう意味?
 私の中の不安がどんどん膨れ上がる。指先が冷たくなってきた。
 そんな私の様子になどまるっきり気付かないカーティスさんは、あっけらかんと笑いながら言った。

「こうして気安く“ミシェル”って呼ぶことも、もうすぐなくなるんだなぁ。なんか寂しいぜ。何となくさ、俺にとってお前はいつの間にか、可愛い妹分みたいな感じになってたからさ。それがなぁ……まさかこんなに手の届かない存在になっちまうなんてな」

(──────っ!!)

 名前を呼ばれることも、もうすぐなくなる。
 手の届かないところへ────
 
 やっぱり私はここを離れて、別のどこかで生きていかなくてはならないのだ。
 旦那様は、そう決断したんだ。

「……ふ……っ」
「まぁ、でも別にこれからも……、っておい!! な、何なんだよ! 何で急に泣くんだよ! う、嬉し泣きか? 幸せすぎるのか? ……あれっ。ミ、ミシェル……ッ?」

 居ても立ってもいられず、私はその場にバケツを置き、カーティスさんのことも置き去りにし、旦那様の執務室を目指した。



「……し、失礼いたします……旦那様……」
「ミシェル? どうし……」

 机に向かって何か書き物をしていた旦那様が、優しい笑みを浮かべて顔を上げた。そして目が合った瞬間、驚いた表情で椅子から立ち上がる。

「どうした、ミシェル。一体何があった。なぜそんな顔をしている」

 そう言いながら、旦那様は足早にこちらにやってきて、私の両肩を掴み顔を覗き込む。

「お、お仕事中に申し訳、ございません……。いつでも構いませんので、どうかお話しさせていただくお時間を……」
「今で構わない。……カーティス、すまないが外してくれるか」

 私の後から執務室に入ってきたらしいカーティスさんは、旦那様にそう言われてそっと部屋を出ていき、扉を閉めた。
 旦那様はそのまま私の肩を抱いて、私をソファーに連れて行きそこに座らせると、目の前に跪き私の両手をとった。
 



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