姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

71. 鈍いにも程がある

「叩けば叩くほど、際限なく埃の出る体のようだ、あのエヴェリー伯爵という男は」
「……と、仰いますと?」

 数日前。旦那様は眉間に皺を寄せて心底不愉快そうにそう言った。その日一日の報告をしに執務室を訪れた私は、初めて見る旦那様の険しい顔に戸惑った。横からカーティスさんが口を挟む。

「すげぇんだよ、あのクソ領主。仕事のほとんどを部下や代官たちに任せっきりにして、生活が苦しい領民たちから苦情や嘆願書が出ても完全無視。挙げ句自分は酒や女に溺れて、違法賭博にまで手を出してやがった。今まで領民たちから大きな反乱が起こってないのが奇跡だよ。まぁ時間の問題だろうけどな」
「そんな……」

 あの人が、そこまでひどい領主だったとは。旦那様もうんざりした様子で口を開く。

「伯爵夫人もひどいものだ。王都の高級店から宝石やドレス、調度品など高価なものを次々と買い漁っているばかりか、領内の高級店からはそれらの物を“領主一家への献上品”などと言い大量に納めさせたりしているらしい。今調査中だが、税金の横領もしている可能性が高いようだ。……徹底的に調べ上げ、身ぐるみを剥がしてやる」

 最後にそう呟いた旦那様の横顔はあまりにも冷たくて、自分が責められたわけでもないのに私は体が竦んだ。旦那様はふと私の方を見ると、途端に柔らかい笑みを浮かべる。その表情を見てホッとした。

「安心しろ、ミシェル。奴らを二度と君の目に触れさせはしない。君はこれから社交界デビューし、奴らは逆にそこを去るのだから。……君を不愉快にさせる連中は、誰も君に近付けさせない」

 そう言った旦那様は、私を安心させるように優しく頬を撫でてくれたのだった。



「……そう。旦那様がそんなことを……。じゃあきっともう大丈夫ね。あの悪徳伯爵一家が表舞台に出てくることはもうないんじゃない? きっと二度と顔を合わせることはないはずよ、ミシェルさん」

 アマンダさんが紅茶を口に運びながらニコニコしてそう言った。

「そうでしょうか」
「ええ。あの旦那様を怒らせたのよ? もうこの国の社交界に居場所はないわよ、ふふ」

 そうか……そんなにも……。
 あらためてハリントン公爵の権力の大きさを思い知る。

「大奥様にもご挨拶に行ったのでしょう? そっちの方は大丈夫だったの?」
「あ、はい! 私なんかが旦那様と結婚なんて、受け入れてもらえないんじゃないかと思ってすごく緊張したのですが、意外にも大奥様は喜んでくださって」

 この数週間のバタバタの中には、そのことも含まれていた。私は旦那様と一緒に、南方のハリントン公爵家別邸に住む前公爵夫人の元を訪れ、ご挨拶をしたのだった。
 こんな平民まがいのメイド風情が、うちのロイドの妻に、ですって!? ……などと罵られることなどなく、前公爵夫人は相好を崩して私を迎え入れてくれたのだった。

『先日のお茶会では、あなたに嫌な思いをさせてしまって本当にごめんなさいね。まさかディーナ嬢があんなことを言い出すなんて微塵も思わずに……申し訳なかったわ。ロイドがようやく選んだ女性だもの。私に不満なんてあるはずもないわ。これからは覚えなくてはいけないことがたくさんあって、とても大変でしょうけど……頑張ってちょうだいね。私がサポートできるところは、ちゃんとお手伝いしていきますからね』

 旦那様が先んじて話を通してくださっていたからだろうか、前公爵夫人はこちらが驚いてしまうほどすんなりと、この私のことを受け入れてくださった。本当にありがたい。前公爵夫人の優しさと信頼に応えられるように、全力で頑張らなくては……!

 アマンダさんはほうっと息をつくと、しみじみとした口調で呟く。

「ミシェルさんが幸せになってくれるのはすごく嬉しいわ。ずっと苦労して、辛いことをたくさん耐え抜いてきたんですもの。これからは旦那様にたっぷり愛されて、穏やかな気持ちで毎日を過ごしてね」
「あ、ありがとうございます、アマンダさん……」

 改まってそんなことを言われると、なんだかものすごく照れてしまう。

「だけど、こうして気さくな夜着パーティーを開くのもこれが最後ね。あなたとのお喋りはとても楽しかったから、ちょっぴり寂しいわ」
「わ、私もですアマンダさん! 旦那様のためにも、立場に相応しい立ち居振る舞いは大事だと、分かってはいるのですが……。でもその一方で、少し寂しくて。大丈夫、アマンダさんたちと遠く離れるわけじゃないんだからって、何度も自分に言い聞かせてます」
「ふふ。そうよ。立場は変わっても同じお屋敷の中で過ごしているんだし、私はこれからもあなたをそばで見守ってるわよ」

 その言葉は何よりも私が欲していたもので、嬉しさのあまり、私は自然と笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。そうですよね。皆さんとも、カーティスさんとも、これからもずっとここで一緒にいられるんですもの。むしろ今後は皆さんの安定した生活を守っていくために、私もしっかり頑張りますから!」

 私が張り切ってそう言うと、アマンダさんはなぜだか一瞬ピクッと眉を上げた。

「……あのね、ミシェルさん」
「はい?」
「……実はね、その……私……、……カ……」

(……カ?)

 どうしたんだろう、アマンダさん。何か言いたげな感じだけど……。
 アマンダさんは何度か、カ……、カ……、と言いながら、その先は続けずにテーブル辺りに視線を落としてはモジモジしている。
 不思議に思って私がジッと見つめていると、目が合ったアマンダさんは頬をほんのりと染めて言った。

「ご、ごめんなさい。やっぱり何でもないわ。気にしないで」
「え? ……でも」

 何でもなくはなさそうだ。今絶対に何か言おうとしてた。
 どうしたんだろう。何か、私に言いづらいことでもあるのかな。
 旦那様のプロポーズに気付けなかったくらい鈍い私でも、さすがにこのアマンダさんの様子を見ていればそれくらい分かる。
 ……うーん……。カ……、カ……?

(……あ! 分かった!)

「カヌレですよね? すみませんアマンダさん。カヌレは売り切れてたんです。新商品だからやっぱり人気みたいで……。今度見つけたら絶対買ってきますからね!」

 目の前の焼き菓子たちに視線を落としているから、きっと最近巷で流行りだしたカヌレというものも食べてみたかったのだろう。すごく分かる。買いに行った時に売り切れていて、私もちょっぴりガッカリしたもの。

 アマンダさんはポカンとした顔でしばらく私を見つめていた。けれどしばらくするとブフッと吹き出して顔を覆った。肩が震えている。

「? ア、アマンダさん……?」
「ごめんなさい、何でもないの。……ええ。ありがとう。私ももし見つけたら、あなたの分も買ってくるわね」

 そう言って顔を上げたアマンダさんはまだ笑っていて、その目には涙が少し滲んでいた。

「……こりゃ旦那様もご苦労なさるわね……」
「??」

 アマンダさんの呟きの意味は、私には分からなかった。







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