姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

73. 愛おしい人(※sideロイド)

(……これでエヴェリー伯爵一家についてはようやく片付いた。十年間も私の大切なミシェルを苦しめてきた連中だ。まだまだ生ぬるいくらいだが、残りの人生全てを過酷な労働に費やし、せいぜい一家で苦しめばいい)

 ひとまずはこれでと溜飲を下げ、私は次の調書に目を走らせる。

(……ヘイゼル伯爵家はパドマと息子との婚約を解消したか。まぁそうだろうな。互いに沈みゆく泥舟だ。……この息子のことは、決して見逃してはやらぬ)

 どう罰してやろうかと思考を巡らせる一方、この一家についても調べ上げさせた。エヴェリー伯爵家ほどではないが、ここも似たり寄ったりの領地経営であることが分かった。自分たちの私腹を肥やすためだけの、無駄に高い税金。食うに困っている末端の者たちの放置。……領主という立場でありながら、なぜこいつらは自分の領民たちの生活を守ろうとはしないのか。甚だ疑問だ。ならば領主である理由などないじゃないか。
 ヘイゼル伯爵領から我がハリントン公爵領へは、多くはないが毎年数種類の特産品の納品が行われていた。私は即日、それらの契約を全て打ち切った。こちらにとっては微々たる額でも向こうにとっては大口の取引先であったはずだから、これだけでも相当な痛手だろう。しかし私は飽き足らず、エヴェリー伯爵領と同様にこちらの領主の悪事についても暴き出し、国王陛下の前に晒した。
 奴らにも相応の罰金が課せられることとなる。息子の代になっても苦労は続くことだろう。そしてこの私を怒らせた事実は、瞬く間に社交界に知れ渡るはずだ。私の心証を気にする家はおそらく皆ヘイゼル伯爵家との関わりを絶つだろうし、おそらくあの息子にはもうまともな結婚相手も見つからない。

 そしてもう一人。うんざりするほど私にしつこく言い寄り、さらにはミシェルを公衆の面前で罵倒し傷付けたディーナ・ブレイシー侯爵令嬢も、このまま捨て置くことは到底できなかった。
 私はこれまでのブレイシー侯爵令嬢の不躾なまでのしつこい訪問や、たびたび送りつけられる手紙、さらに先日の茶会の席での彼女の振る舞いを咎める書簡を、ブレイシー侯爵に宛てて送った。
 私が婚約を結ぶ予定である大切な女性を、よく調べもせずに大勢の前で糾弾し、傷付けた。高貴な貴族令嬢らしからぬその振る舞いは非常に不愉快であるとともに、今後一度でも同じようなことが起こることを断固拒否する、と。
 ブレイシー侯爵からは即日丁寧な詫び状が届いた。娘のことはもう二度と閣下にもミシェル嬢にも近づかせぬ故、どうかご容赦いただきたいと記されたその手紙を受け、私は念のため、ディーナ・ブレイシー侯爵令嬢の我々への接近禁止を約束させる契約書を侯爵と交わした。
 それでもまだ腹の虫が治まらなかったため、人を使ってこのブレイシー侯爵家とのやり取りを上手いこと社交界の女たちの元へ流しておいた。あの女は当分の間晒し者となり、赤っ恥ををかき続けることだろう。私の可愛いミシェルを泣かせた罪は重い。

 私がミシェルと婚約したことが社交界に知れ渡ると、年頃の未婚令嬢たちが次々に婚約を結びはじめたという事実が耳に入ってくるようになったが、それについては特に私の興味を引かなかった。

(……さて。ミシェルの様子を見に行くとするか)

 全ての調書や契約書に目を通し満足した私は、ゆっくりと立ち上がった。それをカーティスが目ざとく見つけ、からかうように声をかけてくる。

「何をニヤニヤしてるんですか、ロイド様。またミシェルのところに行こうとしてますよね? 全く……婚約して以来ますますミシェルに夢中なんですから。困ったもんだ」
「……ニヤニヤなどしていない。一段落ついたから、愛しい婚約者の勉強の捗り具合を見て、激励の言葉くらいかけてやろうと思っているだけだ」
「ま、仕事さえちゃんとしてくだされば、俺は文句ないんですけどねー」
「するに決まっているだろう。この私をどこぞの堕落領主たちと一緒にするな」

 そんな軽口を叩きながら、浮かれていることを悟られまいと平静を装い執務室を後にする。まぁ今さらなのだが、足を弾ませながらミシェルのいる部屋へ向かうのも、なんとなくバツが悪い。カーティスの奴がすぐにからかってくるからなおさらだ。

 私は一度ミシェルの部屋を訪れた。婚約して以来、ミシェルの私室は私の部屋があるフロアと同じところに移してある。無論、時間さえできればいつでもすぐにその顔を見に行けるようにだ。正直に言うと今すぐにでも結婚し寝室を共にしたいのだが、ミシェルは「まだその準備ができていない」と言う。ハリントン公爵夫人になるためには、自分にはまだまだ知識と教養が足りていない、と。
 そう言って日々猛勉強しているミシェルのことが、愛おしくてならない。長年結婚を渋り続けた私に、母は何度も言っていた。自分の欲を通すばかりでなく、この私のことを尊重し、そばで支えていきたいと思ってくれる誠実な女性もきっといると。

(本当にそんな女性に出会えるとはな……。私は果報者だ)

 気を抜くと緩んでしまいそうになる口元を意識して引き結び、私は落ち着いたそぶりでミシェルの部屋の扉を開けた。しかしそこにいたのは、片付けをしている侍女たちだけだった。婚約以来、母が見繕ったミシェルのための侍女たちが、別邸から数人こちらへ移ってきてくれている。

「……ミシェルはいないのか」
「はい、旦那様。ミシェル様はただいまホールでダンスのレッスンをなさっておいでです」
「そうか。分かった」

 表情を消して淡々とそう答えると、私は一階のホールへと向かった。ミシェルが踊っている姿を見られるのかと思うと胸がときめく。最初はたどたどしかった彼女のダンスは見る間に成長し、まだ全てが完璧とまではいかないにしても、その姿はすでに優美で、そしてとても愛らしい。

 軽く咳払いをして、ホールの扉を開く。私が贈ったドレスを着てクルクルと回っている愛おしい人の姿を見た途端、苦しいほどに胸が高鳴る。だが次の瞬間、その高揚の上に覆いかぶさった不快感に、私の顔は曇った。




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