姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

最終話. この手を離さずに

(初めてこのお屋敷に来て、もうすぐ一年かぁ……)

 何度も繰り返されるダンスの途中、ちょっぴり集中力の切れてしまった私の頭に、ふとそんなことがよぎった。
 エヴェリー伯爵邸を追い出され、身一つで森の中に入り、あの方に助け出されて。
 メイドとして働かせてもらうようになり、そのうちあの方の身の回りのお世話まで、少しずつ任せてもらえるようになって。
 私のことをよく思わない人たちにひどいことを言われて、ひどく傷付ついたりもしたけど……今の私は、最高に幸せだ。
 愛する人がそばで見守っていてくれて、そしてもうすぐ、その人の妻になれるのだから。

(うーん……。男の人と踊ると、やっぱりホールドの高さとかが全然違うな……。この形を崩さないように意識したいところだわ……)

 ダンスの先生に厳しくチェックされながら、私はお相手の男性の高さに合わせた姿勢でくるりくるりとフロアを回る。
 私のダンスレッスンは、練習相手を必ず女性だけにするようあの方に指示されていて、これまで女性講師としか踊ってこなかった。けれどどうしても、一度男性相手に踊る練習をしてみたくて、私が頼み込み、今日は男性講師を一人連れた来てもらっていた。
 だって────

「何をしている」

 再び集中した私が一心不乱に踊っていると、突然空気を裂くような鋭い声が聞こえた。私もお相手の男性講師も、驚きで肩が跳ねる。
 声のした方を振り向くと、怖い顔をしながらこちらに向かってズカズカと歩いてくる婚約者の姿があった。

「ロイド様!」

 顔を見ただけで嬉しくなって、私は満面の笑みで彼を迎える。すると、たった今まで目を吊り上げていたロイド様が面食らったように私を見つめた後、少し目を逸らしてコホンと咳払いをした。再びこちらを見るその表情は、つい先ほどよりも幾分か柔らかい。
 
「……なぜミシェルが男性と踊っている。話が違うじゃないか。私は最初にはっきりと言っておいたはずだ。練習のパートナーは女性に限ると」

 指導してくれている先生の方を振り向き、厳しい目つきで見据えながらそんなことを言うロイド様。私はその腕を慌てて掴み、こちらに向き直らせた。

「違うんですロイド様! 私がお願いしたんです、どうしても一度男の方と踊ってみたいと。先生方を叱らないでください。私のワガママです」

 両腕をキュッと握りながら私が懇願すると、ロイド様は困ったような顔をする。

「……なぜだミシェル。女性講師相手でも、充分練習はできていたじゃないか」
「ですがロイド様。私が社交の場で実際にダンスを踊るのは、ロイド様や他の男性方です。美しい姿勢でロイド様と踊るためには、やはりロイド様と同じくらいの身長の方と練習させていただきたくて……」

 勝手なことをしてしまったバツの悪さに、私は若干肩を竦めて上目遣いになりながら、ロイド様にそう告げた。すると彼はしばらく私の顔をジッと見つめ、またコホンと咳払いをすると目を逸らす。

「……社交の場だろうとどこだろうと、他の男とは踊らせないがな」
「……ロイド様……」

 私に対しては独占欲が強くて過保護な人だけど、本当は分かってる。
 ロイド様は、以前私がパドマの婚約者に襲われて怖い思いをした話を打ち明けて以来、ずっと気にかけてくださっているのだ。身の回りの世話をしてくれる侍女たちはもちろんのこと、このお屋敷で働く使用人たちも、ここ数ヶ月でずいぶん女性が増えた。そのことを尋ねた時に、こう言っていた。「男ばかりの環境にいるよりも、きっと君の気持ちが落ち着くだろう。何かあれば女性の方が気軽に頼みやすいだろうしな。そう思って新たに雇用している」と。
 ここの人たちは皆良い人ばかりだし、本当は私はさほど気にしていなかったのだけど……、ロイド様のそのお気持ちが嬉しくて、私は素直にお礼を言ったのだった。

「ダンスの練習相手なら、私が務めよう」

 こちらに向き直って私を見つめていたロイド様が、突然そんなことを言いだしたので驚く。

「え……、ですが、ロイド様はお仕事が……」
「少しくらい大丈夫だ。現に休憩しようと思って君の様子を見に来たのだからな。上達具合を見せておくれ。……音楽を」

 ロイド様がそう声をかけると、それを合図にピアノの演奏が始まる。いつの間にかホールの端に移動してくれている講師の方たちがにこやかに見守る中、私はドキドキしながらロイド様に手を重ねた。

「……きっ……緊張します……っ」
「ふ……、そんなに固くなることはない。君がこれまで学んできた通りに、自然に踊ってくれればいい。私が支えているのだから、何も心配するな。ステップを間違ったくらいで、君を叱ったりはしないよ」
「は、はい……」

(そうじゃなくて……っ)

 音楽に合わせ、滑るようにフロアを移動する。心臓が爆発するんじゃないかと思うほどに暴れていて、息が苦しい。大好きな人が、こんなにも近い距離で私を見つめ、微笑んでいる。青く澄みきったその優しい眼差しは、私への愛を惜しみなく伝えてくれている。君が好きだと。愛おしくてたまらないのだと。この優しくて熱い視線が、私の全身を火照らせ、昂らせる。

「……髪が随分伸びたな」

 吐息がかかるほどの距離で、ロイド様がそう囁く。
 このお屋敷にやって来た時に、汚かった髪をアマンダさんに顎の辺りまで切り揃えてもらってから、約一年。私の髪はもう鎖骨を覆うほどにまで伸びていた。

「そうですね。……ふふ。アマンダさんとカーティスさんの結婚式には、凝ったヘアスタイルにして出席したいんです。楽しみだなぁ」

 そう。来月にはなんと、あの二人の結婚式があるのだ。いつの間にそんなことになっていたのかと、打ち明けられた時には本当に驚いたものだ。「俺たち結婚すんだよ」と、あっけらかんと報告してきたカーティスさんの隣で、アマンダさんは耳まで真っ赤になった顔を両手で覆い、もじもじしていたっけ。あの時のアマンダさんの可愛らしい様子を思い出すだけで、頬が緩んでしまう。

「ああ。とびきり着飾って出席するといい。……しかしまさか、カーティスに先を越されるとはな」

 そんなことを言うロイド様もまんざらでもないのか、瞳の奥が優しい。

「ふふ。私も早くロイド様の妻になれるように頑張りますね」

 そう宣言した私の腰をグッと引き寄せ、ロイド様が私の耳に唇を近付ける。

「もう充分頑張ってくれている。楽しみだよ、ミシェル。君を私の妻として、皆に紹介できる日が。……私たちの式も、できる限り早く執り行わねば」
「ロ、ロイド様……」

 話をしながら踊っているうちに、少し気持ちが落ち着いたのに、こうして抱き寄せられて耳元でそんなことを言われたものだから、また鼓動が激しくなる。

「綺麗だよ、ミシェル。このままずっと、この手を離したくない」
「……私もです……」

 火照る顔を隠すように俯きながら、私も小さな声でそう答えた。するとロイド様はこの上なく嬉しそうに、その美しい顔に満面の笑みを浮かべる。

「じゃあ離さないでおくれ、決して。これから先、こうしてずっと私の手を握り、そばに寄り添い、共に歩んでいってほしい」
「……はい。ロイド様。おそばにいさせてください。これから先も、ずっと……」

 私がそう答えると、ロイド様はステップを踏む足を止めた。そしておもむろに私を抱きしめ、額に優しくキスをする。
 
「もちろんだ。……愛しているよ、ミシェル」

 心地良いピアノの旋律の中、私はロイド様の背に手を回し、幸せを噛み締めながら目を閉じたのだった──────





   ーーーーー end ーーーーー




 最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました!






 

   
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