姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

8. 白銀の髪の美青年

 どれくらい歩いたのだろうか。もう足の感覚がない。自分が足を前に運んでいるという感覚さえない。私の意識とは無関係に、ただ足が勝手に動いているような、そんな感じ。疲れきった私は、ぼんやりとする視界の中でただ呼吸を繰り返していた。

(……座ろうかな。少し休んだ方が……。ううん、でも今座り込んだら、きっともう立ち上がれない気がする……)

 いつの間にか、辺りはどんどん暗くなってきていた。今何時だろう。もしかしてもう夕方頃なのかしら。もうすぐ日が沈んでしまうかもしれない。真っ暗になったら方向感覚もなくなるだろう。
 そんなことをぼんやりと考えながら、時折木々に手をつきふらつく体を支え、私は前に進み続けた。
 するとふいに、ガクッと視界が揺れる。……木の根っこにつま先を引っかけたらしい。

(あ……っ)

 私はそのまま数歩よろめきながら、前方に広がる道に出て転び、地面に手をついた。

 その時だった。

「危ねぇっ!! ロイド様、前!!」

(──────っ!)

 近くで突然大きな声が聞こえ、心臓が口から飛び出しそうになる。反射的に声のした方を振り向き、私は目を見開いた。
 目の前に、大きな馬の体と蹄が迫っていたからだ。

(ふ、踏み潰される……っ!!)

 馬の駆けてくる音にさえ気付いていなかったなんて。恐怖のあまりそのまま固まって動けずにいると、前足を大きく上げた馬が突如ぐるりと向きを変えた。その時、馬の背に乗って手綱を引いている人の姿が見え、私は息を呑んだ。
 
 馬上から驚いた表情でこちらを見下ろしていたのは、白銀の髪を靡かせた青い瞳の男性だった。
 いななく馬の手綱を引きながら、美しく整った顔で私を見下ろしている。

 ────なんて、綺麗な殿方だろう……

 ほんの一瞬、私の脳裏をそんな言葉がよぎった。

 けれど。

「……っ! ぐ……っ」
「ロイド様!」

 驚いたのは、馬も同じ。
 目の前に突然飛び出してきた障害物に、動揺した騎乗者、無理矢理させられた方向転換。
 大暴れした馬の背から、銀髪の美青年は振り落とされてしまい、そばの大木に体を打ちつけた。

(た……大変……っ!!)

 私は慌てて体を起こし、その男性のそばに近付こうとした。すると、

「ちょっと待った! 今こっち来ないでお嬢さん! じっとしてな!」

 驚いたことに、暴れる馬の後ろからもう一人の男性が馬に乗って現れた。どうやらさっきから叫んでいたのはこちらの男性らしい。
 その若い男性は自分の馬から軽快に飛び降りると、先ほど銀髪の男性を振り落とした大きな馬を宥めにかかった。こちらはマリーゴールドの花を思い起こさせるような、鮮やかなオレンジ色の髪色をしている。

「どうどう……よーしよし。いい子だ」

 どうにか馬が落ち着くと、オレンジ色の髪の青年は今度は先ほどの銀髪の男性の元へすばやく移動した。身軽な人だ。私もハッとして、慌ててその後を追い、馬の横をすり抜ける。

(ごめんなさい、お馬さん……)

 ブルル……と鼻を鳴らしている馬の横を、もう驚かさないようにそっと通りながら、私は二人の男性の元へ歩み寄った。……ああ、どうしよう、頭がクラクラする……。

 大木のそばに座っている銀髪の男性は、不機嫌そうに顔をしかめていた。そのそばにかがみ込んだオレンジ色の髪の青年が、男性の怪我を見ているようだ。

「あいたー。こりゃ骨いっちゃってますねぇ。困ったな。とりあえずまぁ、屋敷まで戻るしかないですよね。馬乗れますか? ロイド様」
「ああ。動く左手でどうにかするしかないだろう。……まったく」

 どうやら、かなりひどい怪我を負ってしまったらしい。私は泣きそうになりながら、二人の男性に声をかけた。

「あ……あの……、本当に、申し訳ございません……」

 振り返った二人は、私を見てギョッとした顔をする。オレンジ色の髪の青年が口を開いた。

「うわ、物乞いか。あんたこんな森の中で何してたんだよ。木の実でも探してたのか? 言っとくがな、この辺りはあんま安全じゃねぇぞ。知らねぇの? 獣に襲われることもあるんだからな」
「は……、い、いえ……その」
「もうすぐ日も暮れるしよ、早くここから出な。じゃねぇと夜中に獣の餌になるぞ」
「あ、あの……」

 ここから出な、と言われても、私としても早く出たいのだけれど、まだ出られていないだけなのだ。それに、銀髪の男性にきちんと謝罪がしたい。
 よく見ると、男性はとても立派な身なりをしている。おそらく貴族の方なのだろう。こんなにも美しい顔立ちをした高貴な男性の前に、こんなみすぼらしい姿で立っている自分のことが、急に恥ずかしくなった。けれど、そんなことを言っている場合じゃない。



 






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