虐げていた姉を身代わりに嫁がせようとしましたが、やっぱりわたしが結婚することになりました
「ミラ。はぐれないよう、手を繋いでもいいだろうか」
馬車を下りて人混みの多い街中にミランダがわくわくしていると、ディオンが躊躇いがちに了承を求めてきた。
「はい。もちろんです」
ディオンはほっとした様子でミランダの手を握る。彼女はぎゅっと握り返し、少し背伸びして彼だけに聞こえるよう小声で告げた。
「デートっぽくて、いいですね」
「あ、ああ……デートっぽくて……」
少し照れ臭そうに言うディオンに笑みを零し、ミランダは彼の手を引いた。
本当はこういう時ディオンに任せるのが正しいのかもしれないが、彼ならば率先して先を歩く自分の行為も許してくれる気がしたのだ。素の自分を出しても、きっと受け入れてくれる。
「ディオン様。わたし、あのお店にまず入ってみたいです」
「ああ、わかった。だがそんな急がなくても、店は逃げない」
こうして二人は、ミランダが気になる店を中心に覗いて回った。
「ディオン様。この異国のジャラジャラしたネックレス、ちょっと身につけてくれませんか?」
「これか? ……どうだろうか」
「わぁ! とてもよくお似合いです! ラクダとかに乗って優雅に登場しそうです」
「そ、そうか? よくわからないが、ありがとう」
ミランダはディオンに似合いそうなものを何点か購入していく。すると彼もミランダに似合いそうなものを吟味し始めた。
「金色の髪飾りは、あなたの髪色にもよく似合うと思う。ぜひ俺に贈らせてくれ」
「林檎の帽子なんてものも売っているのか……ミラ、少し被ってみてくれないか」
と言いながら子ども用のものを勧めてきたり、
「あ、この東の国から輸入したという鬼の面はどうだろうか。恐ろしい面を外したとたん、あなたの可憐な顔立ちが露わになって、みなも息を呑んで驚くだろう……いや、やはり注目されるのは複雑だな……あなたの美しさに他の男たちが惹かれるのは避けたい……」
などと、途中変わったものを勧められたが、それはそれで楽しかった。
(ディオン様にも、好みはあるのね)
「どうした?」
パンに野菜や肉を挟んだものなど、簡単につまめるものを買い、広場のベンチに座って二人は食べていたのだが、ミランダの視線に気づいてディオンも手を止める。
「いえ。国王陛下がこんな場所で昼食をしているなんて知ったら、みんな驚くだろうなぁと思いまして」
「それを言うなら、王妃がいるのも驚きだろう」
「それもそうですね」
名前を呼ぶ時はなるべく小声か相手だけに聞こえるよう顔を近づけて話す。髪型や服装も周りから浮かないよう気をつけて出向いたが、それでも誰かに気づかれてしまうだろうと思っていた。
「嫁いできたばかりのわたしはともかく、ディオン様の方はばれてしまうかもとドキドキしていました」
「あまり、街を見て回ることはなかったからな」
隣を見上げると、ディオンは過去を振り返るように遠い目をしていた。
「魔女を処刑して、報復を恐れた祖父は父や孫の俺の警護を厳重にしていた。国王になるために毎日勉強漬けで、どこかへ出かけることも……視察で各領地を見て回るくらいだった。こんなふうにのんびり王都を観光したことはない。自分の生まれ育った場所だというのにな」
ディオンはミランダの方を見て、どこか寂しそうに言った。
「案外そういうものかもしれませんわ。近くでいつでも行けるという安心から、わざわざ足を向ける必然性を感じなくなる。もっとよく見ておけばよかったと思うのは、その土地を離れてから……」
ミランダはそこまで言うと、口を噤んだ。
意図せずしんみりした口調になってしまい、自分が故郷に未練を残しているように聞こえたかもしれないと思ったからだ。
「故郷が、懐かしいか?」
「……懐かしくない、と言ったら嘘になりますけれど、今はこのグランディエ国で生きていきたいと思っております」
「そうか……。もし、あなたの計画通りに事が進んでいたら、今頃あなたは母国で他の男と結婚していただろうな」
「ディオン様、それは――」
「だが、そうはならなかった。俺はあなたの姉君と彼女を想い続けた騎士に心から感謝しているよ」
ミランダが言葉をかける前にディオンが顔を上げ、微笑んだ。
「……わたしも、今はオラース……姉の想い人に感謝しております」
「あなたのことだから、計画が破綻した時は怒り狂っただろう」
その時のことを思い出し、ミランダは居心地悪そうに目を逸らす。
「ええ……。わたしはその時初めてオラースの存在を知って……ただの一介の騎士よりもあなたの方がずっといい男で、姉を幸せにできると思っていましたから」
「あなたはずいぶんと俺のことを買ってくれていたのだな」
「事前に調べもしましたけれど……直観のようなものがあったのです」
そしてその直感は見事当たっていたわけだ。
(姉ではなくわたしが幸せになってしまったけれど)
「……あなたは、自分よりも他者のことを思いやる優しい人なんだな」
「誰にでも、っていうわけではありませんよ? わたしの好きな人だけです」
口にして、王妃としてその発言はダメだったかもしれないと思った。
「あなたのことを知っていく度に、俺は本当に噂というのは当てにならないと思った」
ディオンが苦しそうに顔を歪ませて呟く。
(まだ気にしていらっしゃるのかしら)
ミランダ自身がもういいと言っているのに、ディオンはいつまでも悔いている。
(それだけ真面目で、優しい人ってことかな)
「わたしも、ディオン様のことを知って、抱いていたイメージが変わっています」
「なに?」
もしや良くない方向で? と考えたのかディオンは顔を強張らせる。
「ふふ。悪い意味ではありませんわ。話していて、和やかな気持ちになれて、癒されるんです」
「……俺も、あなたといると落ち着く」
そんなこと今まで言われたことなかったのでミランダは驚く。
「本当ですか? それなら、嬉しいです。きっとディオン様のおかげですね」
「俺の?」
「はい。いつもわたしのことを気遣ってくださって、本音を見せてもいいんだって肩の力が抜けたといいますか……環境が変わったことも大きいですけれど、以前の自分とは少し変わったと思います」
もう姉のために悪役を演じる必要もない。
ジュスティーヌが今度はミランダ自身の幸せを求めてほしいと手紙で書いてくれたこともあり、ミランダは今、自分の幸せを考えている。
「ディオン様も優しい旦那様ですから、つい甘えてしまうのです」
「そうか。それは、嬉しい変化だ。なら、これからもっとあなたを甘やかそうと思う」
「ふふ。あんまり甘やかすと、またクレソン卿に叱られますわよ?」
「いや、大丈夫だろう。今日のデートも、クレソンが率先して日程を調整してくれたんだ」
「まぁ、本当ですか?」
夫婦であるのに二人きりになることを危惧していたあのクレソンが……。ミランダは一体どういう心境の変化だろうかと不思議に思った。
「クレソンもあなたが王妃であることを認めている。あれでも反省しているんだ。だからその罪滅ぼしにと……あとはまぁ、俺に休息してほしい意図もあったのだろう」
ディオンの体調を心配してのことならば納得できる。
「クレソン卿はずっと近くでディオン様を見守ってきた方でしょうから、余計に心配なのでしょうね」
「少々過保護すぎる面もあるがな……」
亡くなった両親や祖父の代わりに、という思いもあったのだろう。
「それだけ大切になさっているのでしょう」
「……そうだな」
「今日ディオン様と出かけられるよう調整してくださったこと、あとでお礼を言わなきゃいけませんわね」
「本当はもっと頻繁に……気軽に出かけられるといいんだがな」
ディオンの気持ちもわかるが、自分たちの立場を考えるとやはり難しいだろう。何かあって責任を負うのは臣下である彼らの方なのだから。
(今もたぶん、どこからか見守っているのよね)
広場にはミランダたちの他にも子連れや恋人たちなどの姿がある。
「ミラ。まさかこの一回きりで終わりではないだろう? ……俺はまたあなたをデートに誘うつもりなんだが」
黙り込んだミランダに緊張した声でディオンが問いかけてくる。
すでに自分たちは夫婦で、彼は国王でもあるのに、付き合い立ての恋人同士のようなやり取りにくすぐったくなる。
「はい。もちろんです。わたしもまだまだ、あなたと行ってみたい場所やしてみたいことがありますから」
馬車を下りて人混みの多い街中にミランダがわくわくしていると、ディオンが躊躇いがちに了承を求めてきた。
「はい。もちろんです」
ディオンはほっとした様子でミランダの手を握る。彼女はぎゅっと握り返し、少し背伸びして彼だけに聞こえるよう小声で告げた。
「デートっぽくて、いいですね」
「あ、ああ……デートっぽくて……」
少し照れ臭そうに言うディオンに笑みを零し、ミランダは彼の手を引いた。
本当はこういう時ディオンに任せるのが正しいのかもしれないが、彼ならば率先して先を歩く自分の行為も許してくれる気がしたのだ。素の自分を出しても、きっと受け入れてくれる。
「ディオン様。わたし、あのお店にまず入ってみたいです」
「ああ、わかった。だがそんな急がなくても、店は逃げない」
こうして二人は、ミランダが気になる店を中心に覗いて回った。
「ディオン様。この異国のジャラジャラしたネックレス、ちょっと身につけてくれませんか?」
「これか? ……どうだろうか」
「わぁ! とてもよくお似合いです! ラクダとかに乗って優雅に登場しそうです」
「そ、そうか? よくわからないが、ありがとう」
ミランダはディオンに似合いそうなものを何点か購入していく。すると彼もミランダに似合いそうなものを吟味し始めた。
「金色の髪飾りは、あなたの髪色にもよく似合うと思う。ぜひ俺に贈らせてくれ」
「林檎の帽子なんてものも売っているのか……ミラ、少し被ってみてくれないか」
と言いながら子ども用のものを勧めてきたり、
「あ、この東の国から輸入したという鬼の面はどうだろうか。恐ろしい面を外したとたん、あなたの可憐な顔立ちが露わになって、みなも息を呑んで驚くだろう……いや、やはり注目されるのは複雑だな……あなたの美しさに他の男たちが惹かれるのは避けたい……」
などと、途中変わったものを勧められたが、それはそれで楽しかった。
(ディオン様にも、好みはあるのね)
「どうした?」
パンに野菜や肉を挟んだものなど、簡単につまめるものを買い、広場のベンチに座って二人は食べていたのだが、ミランダの視線に気づいてディオンも手を止める。
「いえ。国王陛下がこんな場所で昼食をしているなんて知ったら、みんな驚くだろうなぁと思いまして」
「それを言うなら、王妃がいるのも驚きだろう」
「それもそうですね」
名前を呼ぶ時はなるべく小声か相手だけに聞こえるよう顔を近づけて話す。髪型や服装も周りから浮かないよう気をつけて出向いたが、それでも誰かに気づかれてしまうだろうと思っていた。
「嫁いできたばかりのわたしはともかく、ディオン様の方はばれてしまうかもとドキドキしていました」
「あまり、街を見て回ることはなかったからな」
隣を見上げると、ディオンは過去を振り返るように遠い目をしていた。
「魔女を処刑して、報復を恐れた祖父は父や孫の俺の警護を厳重にしていた。国王になるために毎日勉強漬けで、どこかへ出かけることも……視察で各領地を見て回るくらいだった。こんなふうにのんびり王都を観光したことはない。自分の生まれ育った場所だというのにな」
ディオンはミランダの方を見て、どこか寂しそうに言った。
「案外そういうものかもしれませんわ。近くでいつでも行けるという安心から、わざわざ足を向ける必然性を感じなくなる。もっとよく見ておけばよかったと思うのは、その土地を離れてから……」
ミランダはそこまで言うと、口を噤んだ。
意図せずしんみりした口調になってしまい、自分が故郷に未練を残しているように聞こえたかもしれないと思ったからだ。
「故郷が、懐かしいか?」
「……懐かしくない、と言ったら嘘になりますけれど、今はこのグランディエ国で生きていきたいと思っております」
「そうか……。もし、あなたの計画通りに事が進んでいたら、今頃あなたは母国で他の男と結婚していただろうな」
「ディオン様、それは――」
「だが、そうはならなかった。俺はあなたの姉君と彼女を想い続けた騎士に心から感謝しているよ」
ミランダが言葉をかける前にディオンが顔を上げ、微笑んだ。
「……わたしも、今はオラース……姉の想い人に感謝しております」
「あなたのことだから、計画が破綻した時は怒り狂っただろう」
その時のことを思い出し、ミランダは居心地悪そうに目を逸らす。
「ええ……。わたしはその時初めてオラースの存在を知って……ただの一介の騎士よりもあなたの方がずっといい男で、姉を幸せにできると思っていましたから」
「あなたはずいぶんと俺のことを買ってくれていたのだな」
「事前に調べもしましたけれど……直観のようなものがあったのです」
そしてその直感は見事当たっていたわけだ。
(姉ではなくわたしが幸せになってしまったけれど)
「……あなたは、自分よりも他者のことを思いやる優しい人なんだな」
「誰にでも、っていうわけではありませんよ? わたしの好きな人だけです」
口にして、王妃としてその発言はダメだったかもしれないと思った。
「あなたのことを知っていく度に、俺は本当に噂というのは当てにならないと思った」
ディオンが苦しそうに顔を歪ませて呟く。
(まだ気にしていらっしゃるのかしら)
ミランダ自身がもういいと言っているのに、ディオンはいつまでも悔いている。
(それだけ真面目で、優しい人ってことかな)
「わたしも、ディオン様のことを知って、抱いていたイメージが変わっています」
「なに?」
もしや良くない方向で? と考えたのかディオンは顔を強張らせる。
「ふふ。悪い意味ではありませんわ。話していて、和やかな気持ちになれて、癒されるんです」
「……俺も、あなたといると落ち着く」
そんなこと今まで言われたことなかったのでミランダは驚く。
「本当ですか? それなら、嬉しいです。きっとディオン様のおかげですね」
「俺の?」
「はい。いつもわたしのことを気遣ってくださって、本音を見せてもいいんだって肩の力が抜けたといいますか……環境が変わったことも大きいですけれど、以前の自分とは少し変わったと思います」
もう姉のために悪役を演じる必要もない。
ジュスティーヌが今度はミランダ自身の幸せを求めてほしいと手紙で書いてくれたこともあり、ミランダは今、自分の幸せを考えている。
「ディオン様も優しい旦那様ですから、つい甘えてしまうのです」
「そうか。それは、嬉しい変化だ。なら、これからもっとあなたを甘やかそうと思う」
「ふふ。あんまり甘やかすと、またクレソン卿に叱られますわよ?」
「いや、大丈夫だろう。今日のデートも、クレソンが率先して日程を調整してくれたんだ」
「まぁ、本当ですか?」
夫婦であるのに二人きりになることを危惧していたあのクレソンが……。ミランダは一体どういう心境の変化だろうかと不思議に思った。
「クレソンもあなたが王妃であることを認めている。あれでも反省しているんだ。だからその罪滅ぼしにと……あとはまぁ、俺に休息してほしい意図もあったのだろう」
ディオンの体調を心配してのことならば納得できる。
「クレソン卿はずっと近くでディオン様を見守ってきた方でしょうから、余計に心配なのでしょうね」
「少々過保護すぎる面もあるがな……」
亡くなった両親や祖父の代わりに、という思いもあったのだろう。
「それだけ大切になさっているのでしょう」
「……そうだな」
「今日ディオン様と出かけられるよう調整してくださったこと、あとでお礼を言わなきゃいけませんわね」
「本当はもっと頻繁に……気軽に出かけられるといいんだがな」
ディオンの気持ちもわかるが、自分たちの立場を考えるとやはり難しいだろう。何かあって責任を負うのは臣下である彼らの方なのだから。
(今もたぶん、どこからか見守っているのよね)
広場にはミランダたちの他にも子連れや恋人たちなどの姿がある。
「ミラ。まさかこの一回きりで終わりではないだろう? ……俺はまたあなたをデートに誘うつもりなんだが」
黙り込んだミランダに緊張した声でディオンが問いかけてくる。
すでに自分たちは夫婦で、彼は国王でもあるのに、付き合い立ての恋人同士のようなやり取りにくすぐったくなる。
「はい。もちろんです。わたしもまだまだ、あなたと行ってみたい場所やしてみたいことがありますから」