虐げていた姉を身代わりに嫁がせようとしましたが、やっぱりわたしが結婚することになりました
「ディオン様!?」

 快諾したディオンにミランダはどうして!? と思う。客席側にいたヤニックやアルノーたちも同じだ。

「陛下。挑発に乗ってはなりません!」
「そうです! 罠です!」

 主君が危険に陥ろうとして黙ってみているわけにはいかないと、彼らがこちらへ来ようとする。ドニが手を上げて止める。

「観客が舞台に上がることは許されない。無理矢理退場したいのならばこちらも手荒な真似をするしかない。その場合、他の無関係な客人も巻き込むことになるが」

 ドニの脅しにヤニックたちは怯む。

「おまえたちは来るな」
「ディオン様……」
「ミラも、大丈夫だ」
「嘘!」

 間髪を容れず否定したことでディオンは驚いたように振り返る。

「あ、いえ、決してディオン様の腕前を信用していないわけでは、ただ」
「わかっている。だがあなたを守ると約束したからな。かっこいいところを見させてくれ」

 ふっと微笑んでそう言ったディオンは、剣を構え、ドニと対峙する。ディオンに剣を渡したドニも、腰に佩いていた剣を抜く。

 二人が床を蹴ったのは、ほぼ同時であった。

 普段から本物を使用して演じているのか、それとも今日この日のために本物を用意したのかはわからないが、ドニは難なくディオンの剣を受け止め、横にさらりと受け流しては鋭く斬り込んでくる。

(ああ、どうしよう!)

 ミランダははらはらしながら二人のやり取りを見守ることしかできない。ディオンが負けるとは思っていない。でも――

「どうした、押し負けているぞ!」

 ディオンの方が押されているように見えた。

 このままでは本当に……と思ったミランダの不安を見透かしたようにディオンが笑みを浮かべた。それは最近見ていなかった、不敵な笑みだ。

「ではそろそろ、本気でいかせてもらう」

 ディオンの勢いが変わり、先ほどよりも速く己の剣を振りかざし、ドニの剣を振り払う。

「くっ……」

 今度は形勢逆転だ。ドニの方が苦しそうな表情をして、次第に舞台の端へと追いつめられている。

(すごい! ディオン様!)

 カキン、と気持ちのいい音を響かせ、ディオンはドニの剣を吹き飛ばした。

「ここまでだ、ドニ・ルフェーブル」

 剣先を目の前に突きつけられ、降参するようにドニが両手を上げる。

「ははっ……さすが陛下だ。血生臭い出来事には慣れていらっしゃるのですね。あなたのお爺様も、私のように惨劇を引き起こして玉座を手に入れたのだから」

 時間稼ぎのつもりなのか、ドニがまた話し始める。

 これ以上彼の話を聞いていても、こちらが不愉快になるだけだ。ディオンも剣先をさらに喉元に突きつけ、それ以上話すなと冷淡に命じる。

「ああ、もうお終いだ……」

 ドニが絶望した声色でその場に座り込み、ディオンに捕まえてくれと両手を差し出す。ディオンがその手を拘束しようとする。ミランダは、俯いたドニの口元が上がるのを見た。

 とっさに上を見上げたのは視線を感じたからか、あるいは偶然か。いずれにせよ、ミランダの目は二階席の人影を捉えた。その人間はこの場には不似合いな、弓を手にしていた。ちょうど階段の踊り場にあった絵のような、ディオンの祖父をモデルにした人物が持つ弓を。

(まさか――)

「さぁ、今が判決の時だ!」

 ミランダはドニが顔を上げて声高らかに宣言するより早く、気づいたら走り出していた。弓をすでに引いていたかわからない。考えるより先にディオンの背中に身体をぶつけていた。

「う、ぐっ……」

 ミランダはディオンと一緒に床に派手に倒れ込み、呻き声を漏らした。

「ミラ!」

 ディオンが素早く起き上がり、ミランダを抱き起こす。

「矢が刺さったのか? なぜ、いや、すまない。俺のせいで……」

 混乱した様子のディオンにミランダは違うと首を振った。

「ディオン様、どこも怪我はしておりません」
「だがっ」
「床に倒れた際に膝をぶつけただけです。矢も……」

 ミランダの身体をすれすれに通り過ぎ、床板に突き刺さっていた。

「ああ、なんてことだ! あと少しで国王の息の根を止めることができたのに。これでは山場が台無しだ。ミランダ王妃! なぜあなたは私の邪魔をしたのです。私はあなたのことを同士と思っておりましたのに」
「同士、ですって?」
「ええ、そうですとも。だってあなたもまた、悪女であったのでしょう? あなたのことを魔女の再来だと市民も噂しておりました。ですから私、とても興味があり、親近感を抱いていたのです。魔女の子孫である私と、魔女の再来であるあなた。私たち、実は運命ではないかと思いまして」

(何を言って)

「貴様。何を言っている」

 今まで聞いたことのないほど冷たく、怒りに満ちた声でディオンが言った。彼は立ち上がり、ドニの胸倉を掴み上げた。

「ミランダと貴様を同じにするな。彼女が悪女を演じていたのは、彼女の大事な姉君のためだ。誰かを傷つけることを目的する貴様と断じて同じではない!」

(ディオン様……)

 ディオンの否定にも、ドニは微笑んで堪えた様子はなかった。

「ええ、わかっていますよ。ですから同じだと、申し上げたのです。崇高な目的のために私と彼女は悪役を演じているのですから」
「貴様――」
「勝手に、同じにしないでくれる?」

 ミランダは痛みを我慢しながらも立ち上がり、ドニを睨みつけた。

「崇高な目的? 違うでしょう。あなたがこの劇を開いたのは、男爵家の悲願を成し遂げるためでも、王家に復讐するためでもない。あなたはただ劇を滅茶苦茶にして、愉しんでいるだけ。本当は自分が一番可愛くて可哀想で、不幸な自分に酔っている。悪役を演じているようで演じ切れていない、痛々しい三流の役者もどきよ!」

 ミランダの言葉に初めてドニの表情から感情が消える。

「私が悪役になりきれていない? 三流? 役者もどき? そんなはずない。忌まわしい小娘め、証明してみせる。私が本物の悪役であることを――」
「さすが姫様。その煽り、最高です」

 その声は二階席から聞こえた。ちょうど刺客が弓を放とうとしていた位置に、彼がいた。

「ロ、ジェ――」

 ミランダが名前を呼ぼうとした時、ロジェは飛び降りた。昔、太い木の枝に縄を括りつけ、その縄に掴まって空中を飛んで遊んだように、ロジェもまた縄を掴んでこちらに向かって来る。

 その縄は一体どこで用意したのかわからないが、あまり頑丈ではなかったようで、ぷつっと途中で切れてしまう。でも、それは最初からわかっていた様子で、ロジェは長い脚を標的に向ける。気づいたディオンが寸前まで固定してやり、ちょうどいいところでサッと脇にどき、ミランダに怪我が及ばないよう、素早く端にどいた。そして。

「ぐえっ」

 見事、ロジェのアクロバティックな飛び蹴りがドニの背中にきまったのだった。

「……ふぅ。これにて悪は滅ぼされました。さぁ、お二人とも。客席に向けて、笑顔を向けてください」
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