降っても晴れても
 夏のボーナスが入り、梅雨明けした七月上旬の休日。
「たまには少し贅沢しよう」と、予約を取って杏と二人で訪れたのは、閑静な住宅街に佇む一軒家のフレンチレストラン『cache(カシュ) cache(カシュ)』だった。まさに隠れ家と言える二十席に満たない店内は、ゆったりと心地よい空間が広がっていた。

「ねえ、見た?」
「見た!」
「素敵……」
「だねえ」

 人気の高級フレンチレストランとあって味も然ることながら、いわゆるギャルソンと呼ばれるホールスタッフの彼が素敵過ぎたのだ。
 ただ料理を運ぶだけではなく、料理やワインの説明も丁寧にしてくれ、こちらの質問にも笑顔で答えてくれた。タイミングを見計らった料理のサーブだったり、適度な距離感の接客で、決して食事や会話の邪魔にならない。最高のホスピタリティに二人は感激した。
 それが彼の仕事だと言ってしまえばそれまでなのだが、目配り気配り心配りにスマートな身のこなし、さらには語学も堪能で、外国人の客への対応も完璧にこなす彼に魅了された。
 もちろん、自分だけが特別扱いされているとは思っていない。皆に平等なことは分かっていたが、自分の前に料理を運んだあとに見せる彼の笑顔は、自分だけに向けられたものだ、と琉那は思う。
 彼のネームプレートには『伊勢谷(いせや)』と記されていた。

 さすが高級フレンチと言われるだけあって、コースは一万五千円からと高額だった。そこにシャンパーニュと料理に合うワインをプラスして、週一で通うとなると……。
 琉那の頭の中の電卓から煙が上がった。

 それから、琉那の涙ぐましい節約生活が始まった。

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