御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

(……バレてないよね?)

 内心びくびくしながら、平静を装ってグラスにシャンパンを注ぎ続ける。

 天ケ瀬百貨店東京で清掃の仕事をしているときの美果は、白いポロシャツにベージュのズボン、髪をまとめて指定の帽子とエプロンを身に着けただけのごくごく地味なスタイルだ。正直自分でも、一緒に働いている五十代後半のおばさまと見分けがつかないと思っている。

 しかしキャバレークラブで働くときのはまったくの別人。背中まである髪を少しだけ巻いて後ろに流し、ぱっちり持ち上げたつけまつ毛にきらきらアイシャドウとつやつやリップのお嬢様風メイク。水色のドレスは肩が少し露出しているものの、膝丈のふんわりとしたシルエットが可愛い清楚系。

 自分で言うのもなんだが、どう考えても清掃の仕事中とはまったく別の人間に変身している。

「上山さま、お飲み物どうぞ」
「おお、ありがとう。さやかちゃんは気が利くねぇ」

 さらに名前も、本名とは異なるものを名乗っている。これは美果に限らず他のキャバ嬢も同じで、プライバシー保護や防犯のために個人情報を極力出さないようにすべき、というのが店の方針だ。

 上山の言葉に翔がピクリと反応する。

「さやかちゃん?」
「はい♡」

 声を掛けられたので、内心『う……』とたじろぎつつ、どうにか満面の笑みで振り返る。

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