御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

 夜の仕事をしているときの美果は、話し方や振る舞いまで普段とは全く別の人物を装っている。美果自身、元々前向きで明るい性格だと思ってはいるが、Lilinに勤務している時間はそれ以上に愛想が良くて愛嬌があって気が利いて、とにかく笑顔を絶やさない明るさを心掛けているのだ。

 ついでに少々、客に媚びるような猫なで声も出している。真顔で「は?」というときの顔が本気で嫌そうに見えて面白すぎるから、少しやりすぎなぐらいぶりっ子しとけ、というのが店長命令である。

 だから擬態は完璧。まして今朝たまたま数分話しただけで、本来ほとんど接点のない美果の顔を覚えているはずがない。

 そう思っていたのに、翔の疑問の表情はますます深まっていく。何かを、疑っているように。

「……どこかで会ったことあるかな?」
「え~? どこででしょうか~?」

 翔の不思議そうな声を聞いて背中に変な汗をかきつつ、もう一度にこりと笑顔を返す。

 もちろん美果は悪いことをしているわけではない。清掃会社であるクリーンルーム高星では副業を禁じられていないし、夜に別の仕事をしていることはしっかりと申請している。だから翔に知られたところで問題はないが……それでもやっぱり知られたくない。

 面倒なことは避けたい。特に美果が副業までしてお金を稼ぎたがっている事情は知られたくない。翔のような大企業の御曹司で、社会的に成功している人に美果の事情は絶対に理解できないと知っているから。

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