御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
「ていうか誠人、お前路駐だろうが、早く行けよ」
「あ、そうだった」
マンションの前は停車は可能だが駐車は禁止だ。ハザードランプをあげて五分以内に戻らなければ違反切符を切られるエリアだというのに、呑気に猫の置物について考察していてどうする。
ようやく「じゃーな」と口にした誠人が玄関を出ていくと、オートロックがガチャリと落ちる。これで正真正銘平和が訪れた。
「はあ……なんであんなにやかましいんだ、あいつは」
誠人は昔からテンションが高く賑やかな男だが、最近さらに拍車がかかってきた気がする。
そんなに翔の面倒を見なくてよくなったことが嬉しいのか。それとも翔が珍しく一人の女性を大切に慎重に丁寧に扱っていることを面白がっているのか。
もちろん誠人のことは嫌いではないが、こうも元気が良すぎると活力を吸い取られる。
ただでさえ毎晩帰宅するたびに、朝送り出してくれた美果がこの家にいないという事実に意気消沈するのに。昨日は大丈夫でも今日は別の男と一緒にいるかもしれないと想像するだけで、息苦しさが増すのに。必死に自分を偽ってきた一日の疲労が、数倍に膨れ上がってしまうというのに。
(癒されたい……)
早く明日の朝になって欲しい。本当は起きているのに狸寝入りでおびき寄せることが、卑怯な手段だとわかっている。でも早く、美果を抱きしめて癒されたい。ちょっと困ったように『もう起こしませんよ』とむくれる顔を今すぐ見たい。
「……美果」
小さな呟きに返事をする者はない。愛しい名前のかけらは誰もいないリビングに、静かに溶けて消えていった。