御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
だがそれは当然の話だ。なぜなら美果と翔は『雇われた人』と『雇った人』。雇用契約で結ばれた家政婦でしかない。
美果がすべきことは最初から最後まで変わっていない。契約書に記されていることだけが、二人の間にあるもののすべてだ。
「夕食の準備は済んでおりますが、もしよければ萌子さんの分も……」
だから与えられた任務を正しくまっとうするために、家事の一つである食事の準備を提案した。しかしその言葉は萌子の逆鱗に触れる一言だったらしい。
「あら、随分馬鹿にされたものね。私は将来、翔様の妻となるのよ。料理ぐらい家政婦なんかに頼まなくてもちゃんと用意できるわ」
「……失礼いたしました」
ぎろりと睨まれた瞬間に『やってしまった』と思った。けれどそれを表に出して、これ以上彼女の機嫌を損ねるべきではない。この場を上手く乗り切るには口を噤むのが賢明だ。
黙り込むと萌子も美果の引き際を感じ取ったらしく、それまでとはうってかわってご機嫌な表情に変化した。
玄関で靴を脱いだ萌子が廊下に上がってくる。ぴんと背筋を伸ばした大和撫子は、美果の目の前に立つとゆっくりと首を斜めに傾けた。
「あなた、何時までここにいるの?」
「勤務時間はもう終わりです。午後三時までですので」
「そう、丁度いいわね」
美果の言葉を聞いた萌子が、ワンピースの袖から手首に巻いた腕時計を出して時間を確認する。