御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
「泣くほど俺が嫌なのか?」
ふと動きを止めた翔に指摘されて顔を上げた瞬間、左目の端から溢れてきた雫がほろりと頬に伝った。泣くつもりなんてまったくなかったのに、翔と至近距離で見つめ合うと、今度は明確に涙がぽろぽろと溢れてきた。
「ちが……ちがいます、そうじゃ、なくて……」
泣いていることを知られたくなくて慌てて俯く。けれどどんどん溢れてくる涙を自分では止められない。
翔とのキスが嫌だったわけではない。むしろ本当はその逆だ。
婚約者がいるという翔とのキスを嬉しいと思ってしまった。気持ちいいと思ってしまった。一方的に怒りをぶつけられて、強引にキスをされて、本当は美果のほうが怒ってもいいはずなのに、怒りは少しも湧いてこなかった。
美果が泣いてしまったのは、その感情が涙となって溢れ出たにすぎない。
けれどそれを素直に告げたところで、翔を困らせるだけだ。だから美果は黙り込んでやり過ごそうとしたのに、翔は美果を慰めるようにぎゅっと身体を抱きしめてきた。
後頭部を撫でられると安心する。ポンポンと背中を軽く叩かれると本音が零れ出そうになる。
でも言えるわけがない。キスが気持ち良くて泣いてしまった、なんて……
「あの、翔さん……違うんです」
「……違うって、なにが?」
「私、キスしたこと……。今のが、ファーストキスだった、から……その」
翔が嫌いだからではない。泣くほど嫌だったのではない。しかし本当の理由を口にするわけにもいかない。