御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
その表情を見た美果の恐怖心と羞恥心も少しずつ薄れていく。平常心を取り戻したことを示すように冗談を言うと、翔がフッと笑ってくれた。それから、
「ごめん。美果の言う通り、冷静じゃなかったな」
と申し訳なさそうに後頭部をかく。
翔は美果をからかうのも意地悪をするのも好きらしいが、たまに怒ると怖いというだけで、本当は優しくて人情に溢れる穏やかな人だ。いつもの様子に戻った翔が、美果の頭をくしゃくしゃと撫でてくる。まるでペットか妹をからかうような撫で方に美果もほっと安心する。
ふと言葉が途切れる。すると翔が、美果にある提案をしてきた。
「美果、今夜残業する時間はあるか?」
「え? 残業……ですか?」
美果の問いかけに、翔が低い声で「ああ」と頷く。
「昨日のうちに家の鍵を変えるよう業者を頼んでおいたんだが、付け替え時に誰かが立ち会う必要があるんだ」
「行動早いですね……。そんなことして、萌子さん怒りませんか?」
「怒りたいなら勝手に怒っていればいいだろ。俺はもう、この家に誰も入れたくない。一応今の鍵は誠人も持ってるが、今後はあいつにも預けない。俺と美果が持ってればそれで十分だ」
フン、と鼻を鳴らすところを見るに、翔は本当に萌子を婚約者として扱うつもりはないらしい。結婚は翔一人だけで決めることではなく、天ケ瀬家と稲島家双方が絡む状況のように思えたが、翔はそれすらどうでもいいと言いたげだった。
「万が一また稲島の娘が来ても、もう入れなくていい。鍵交換の業者が来るまで、内側からチェーンかけとけ」
「は……はい」