御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

(もう! いつもいつも、なんなのこの人……!)

 もちろん気にかけてくれること自体が迷惑だと思っているわけではない。
 ただ今の美果にとっては『真面目に業務をこなして正当な報酬を得ること』が最優先。仕事を邪魔されて給料が減る、なんてことには絶対になりたくない。

 美果は清掃会社『クリーンルーム高星(タカボシ)』に所属するしがない清掃員だ。現在の勤務地は都内のとある大型駅構内から直結した、いわゆる鉄道型百貨店のここ『天ケ瀬(あまがせ)百貨店東京』である。

 天ケ瀬百貨店東京は地下二階から地上十階までの全フロアの清掃業務を、クリーンルーム高星に外注で委託している。

 その中で朝の時間に美果が担当しているのは、五階から七階に渡る三フロア。このエリアの清掃を、午前八時から開店時刻である午前十時までに一通り終わらせなければならない。

「秋月ちゃん、話聞いてる~?」
「いえ、あの……」

 つまりあと十分……いや、あと五分で作業を開始しなければならない。なのに今日もまた、こうして五階の紳士服専門店の男性スタッフに捕まっている。

 掃除用具が入った可動式ワゴンをグッと握りしめる。これに勢いをつけて思いきり押し付けたら退けてくれないかな、と物騒なことを考えてしまう。ほら、そうこうしているうちにあと四分。――本当に邪魔なのに!

 焦りと苛立ちを覚えた美果がいよいよブレーキのロックを外す直前、ふと後ろから声を掛けられた。

鈴木(すずき)さん? どうしたんですか?」

 まだ照明がまばらで薄暗いフロア内に、凛とした男性の声が響く。首を動かして声が聞こえた方向へ目を向けると、フロアとバックヤードを繋ぐスタッフ専用出入口の近くに、一人の男性が佇んでいた。

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