御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

 もちろん翔の怒りを、偽りの笑顔で完璧に乗り切れるとは思えない。だがそれでも天然を装ってやり過ごすしかない。今はとにかく、この場から安全に離れられればいい。おそらく『さやか』は今夜限り、もう二度と翔と会うことはないのだから。

 そう考えてにこにこと笑顔を浮かべていると、ふと翔が鼻から細い息を漏らした。

 小さなため息は追及を諦めた合図――そう思った美果は一瞬安心しそうになったが、次に放たれた翔の言葉で再び身動きが取れなくなった。

「お前、馬鹿な喋り方してるけど実はちゃんとわかってるんだろ」
「……え?」

 翔はもっと怒っているのだろうと想像していたが、ふと発した声音は想像していたよりは冷たくなかった。

 微々たる変化ではあるが、翔の態度が軟化したことを不思議に思って顔を上げる。

 すると至近距離で、視線が合う。ゆっくりと見つめ合うと、先ほどまできつく結ばれていた唇が、ふ、と小さな笑みを作った。

「あ、あの……?」

 整った目鼻立ちと綺麗な顔立ちによく似合う、妖艶な笑み。美果の思考と心の声を見抜いているようなシニカルな表情。

(あ……)

 翔のことなど遠巻きで見る姿と人伝に聞く様子しか知らないくせに、直感的に理解する。いつもの人の良いさわやかな笑顔よりも、不敵に笑って美果を見下ろすこの笑顔こそが、翔の本来の姿なのだ――と。

「目は口程に物を言う。お前の目の動きが、客の行動を先まで読んでることも、スタッフ含めて全員の顔色を細かく観察していることも、俺にはわかる」
「!」

 その姿に見惚れていると、翔が突然身体の距離を近付けてきた。急接近を回避するため咄嗟に後ろに身を引こうとしたが、美果はそれ以上後ろには下がれなかった。

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