御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

「この件の詫びとして、稲島物産は天ケ瀬百貨店に対して〝ある取引〟を提案してきた。口止めの意味も含まれているんだろうが、受け入れれば向こうとの関係がひっくり返るほど破格の内容だ」

 さすがは大企業の最高経営責任者。娘は決して頭がいいとは言えないが、父親である稲島は今回の件が表沙汰にならないよう早くも策を講じてきたらしい。

 物流や製造を主とした稲島物産は様々な業界に参入する大きな会社で、本来は天ケ瀬百貨店以上の規模と業績を誇る大企業だ。しかしだからこそ、スキャンダルが露呈したときの影響も大きい。

 それならば天ケ瀬グループに丁重に詫びて、慰謝料代わりに多少不利な取引を結ぶことも厭わない。その決断のタイミングも逃さない。それほど父である稲島社長は慎重かつ野心家で、見栄と体裁を重んじる人物なのだろう。

「決断は美果に任せる」
「えっ? 私ですか……!?」

 翔の思いがけない言葉に、他人事のように聞いていた美果の身体がぴくっと飛び跳ねる。

「今回の被害者は美果だ。だから美果が許さないと言うなら、突っぱねることも出来る。もちろんそれで手打ちにして、受け入れて『やっても』いいと思うけどな」
「……」

 美果の顔を覗き込んで、にやりと微笑む翔の真意を探る。

 おそらく翔は、稲島氏の提案はあくまで『偶然機会を得ただけ』の僥倖で、天ケ瀬の功績や自身の努力の結果ではないと感じている。再現性もなければ達成感もない取引と駆け引きに魅力を感じていない――だから本当に、どう転んでも構わないと思っているのだ。

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