御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

4. 捕縛されまして、運の尽き


 美果が働いている夜の店に翔がやってきた日から、約十日。翔はあれから一度もLilinを訪れていない。

 接待で連れて来られただけで最初から自分の意思でやってきたわけではないのだから、もう『さやか』として会うことはないだろう……という美果の予想は、当たっていたようだ。

 それに夜の仕事だけではなく、昼間に天ケ瀬百貨店で掃除の仕事をしているときも翔に遭遇することはない。

 だがそもそも、彼は本社の営業本部長。毎日のように店舗へ足を運んでくるわけではないので、なかなか会わないのは当たり前といえば当たり前である。

(すごく怖かったけど、会わなかったら全然問題ないもんね)

 と、安堵の息を零しながらフロアとバックヤードを繋ぐスタッフ専用出入口の扉を開ける。そこから従業員用の休憩室に向かうつもりでいた美果だったが、ふと扉を開いてすぐの場所に、フロアへ出ようとしている男性が立っていることに気がついた。

 通行の邪魔をしてしまった、と考えつつ慌てて横へ避ける。ついでにちゃんと目を見て謝罪をするつもりだったが、視線をあげて相手の顔を見た瞬間、思わず悲鳴が出そうになった。

「……!? っ――!」

 突然叫び出す怪しい人になりたくなくて、理性と根性をフル動員させてどうにか絶叫を押さえこむ。

 しかし制服の一つである帽子の鍔を下げて顔を隠すという、無意識の行動までは止められない。おかげでさわやかな笑顔で「お疲れさまです」と声をかけてきた相手――偶然店舗の視察に来ていた天ケ瀬翔の軽やかな挨拶に、ほんの一瞬だけ反応が遅れてしまう。しかも。

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