御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

 梨果からお金を返してもらうことは、もうとうの昔に諦めている。最初に借金があると打ち明けられたときから連絡が途絶えるまでの間に何度も働いて返すよう説得したし、年に数回は連絡を入れて返済を催促してきた。

 しかしそのどれもがことごとく無視されていたし、以前会った時の彼女の態度からも返す意思が感じられなかった。だからもう、言っても無駄だと思って諦めている。

 そんな調子の梨果に借金を完済した事実を告げても「ふーん」と言われて終わるだけかもしれない。それを聞いた美果はまた傷付くかもしれない。でも何も言わないよりは、真実を伝えて今からでも美果に返済するよう催促した方がいいのかもしれない。

 わからない。どうしよう。――と悩んでいると、にまりと笑った梨果が、可愛らしく小首を傾げて甘える仕草を作った。

「ねぇねぇ、私、美果にお願いがあるの」

 その微笑みを見た美果は、直感的に『無駄だ』と悟った。

 彼女が唇を尖らせて、上目遣いに相手を見上げて、小さく首を傾げて、小悪魔全開に媚びるのは〝おねだり〟の合図。

 いつからこうなってしまったのかはわからないが、妹だから美果にはわかる。梨果はいつもこうして、自分の欲しいものを手に入れているのだ。

「美果ってさ、天ケ瀬百貨店の重役の愛人なんだね?」
「!?」

 梨果の口から『天ケ瀬』の名前が出たことに、喉の奥からひゅっと小さな音が抜ける。背筋が凍る。全身に鳥肌が立つ。

(どうして、それを……)

 だが突然の質問に怯える美果の様子に気づいても、梨果の笑顔は止まらない。

 以前履いていたものとは違う、くるぶしの部分にリボンがついた真っ赤なローファーがコツ、と美果に一歩近付く。

「ねえ、美果? その人……私にも紹介してよ」

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