御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
「おしゅかれさまです……っ」
噛んだ。必要以上に翔の視界に居続けたり記憶に残ったりする前にさっさと立ち去ろうとしたのに、平静を装うどころか動揺のあまり思いきり噛んでしまった。
その舌足らずな言葉と動揺する姿は翔の目にも不審に映ったらしく、黙り込んだ彼の真横を通過する瞬間、手首をぱしっと掴まれた。
「君、ちょっと」
「えっ、な、なに……っ!?」
掴まれた腕をグイッと引っ張られた瞬間、先日きつく睨まれて『どうなるかぐらいわかるだろ』と警告を受けたことを思い出す。
翔の言葉を思い返すと身体が勝手に硬直する。あのときも迫力がある声と表情のせいで、稀代のイケメンからの壁ドンという状況にときめくことすらできなかった。そのぐらい、怖かったのだ。
だからこの場からもすぐに離れたかったのに、視線からも腕を掴む力からも逃れられず、帽子の鍔をクイッと持ち上げられて顔をばっちり確認されてしまう。
美果の素顔を確認した瞬間、翔が一瞬息を飲んだ気配がした。
「……やっぱり。お前、あのときのキャバ嬢だろ」
「え……あ、あの……」
「どっかで見たことあると思ったら、うちの店かよ」
バレた。バレていた。
確信こそ持てていなかったようだが、やはり翔は美果の存在に違和感を抱いていたらしい。あの夜『どこかで会ったことがあるか』と聞かれたときから何か感づいているのかもしれないと思っていたが、案の定彼は美果の素性を疑っていたようだ。
(終わった……沈められる……)
東京湾に。
どうしよう、泳ぐのはあんまり得意じゃないんだけれど、と動揺と恐怖のあまり的外れなことを考えていると、さらに腕を引っ張られて再び壁に追い詰められた。