御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
不機嫌な一言を残した翔が部屋を出ると、ほどなくして扉がパタンと閉じる。直前に見た真剣な視線に射貫かれたように、美果の心臓がまたうるさく騒ぎ始めた。
(仕事は、頑張る。恩返しするって決めたもの)
誰にどんな風に心をかき乱されても、仕事だけはちゃんと頑張ると決めている。だから美果は時間までに決められた家事を完璧にこなすし、ミスはしないよう気を付けている。
けれど料理や掃除や洗濯はちゃんとできても、毎朝翔を起こす瞬間と出勤する姿を見送るこの時間だけは、どうにも上手くできている気がしない。翔の鋭い観察眼で梨果に会ってまたお金を貸してしまったことを見抜かれたらと思うと、まともに目を合わせることも出来ない。
(普通にしよう、って思ってるのに……)
廊下の壁にもたれかかって、はぁ、と深いため息を吐く。
翔に対する気持ちは変わらないはずなのに、梨果という存在に感じる不安が強すぎて、どう接すればいいのかわからなくなっている。何もかもが不安定で、自分の言葉と感情と行動のすべてが矛盾している気がする。
(翔さんはきっと、また私のために怒ってくれるんだろうな……)
梨果にまたお金を貸してしまった事実を知っても、翔は美果を責めないと思う。それにもし天ケ瀬百貨店本社に梨果が連絡をしてきても、総務課や秘書課の社員は美果が翔の家政婦でありパートナーであることを把握しているので、適切に対処してくれるはずだ。
もちろん美果も、翔との関係が会社で問題にならないよう、仕事とプライベートの時間はしっかり分けるよう心がけている。次の日がお互いの休みである土曜日以外はこの家に泊まらないことも、自分自身に課している明確なルールだ。