御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

 けれど訂正しようと喉に力を込めた瞬間、背後に立った梨果の気配が冷たい温度で美果に囁く。

『愛人止まりなのに必死になっちゃって、美果かわいそう』

『美果なんかが、天ケ瀬の御曹司さまに本気で相手にされるわけないじゃない』

『美果じゃなくて私じゃダメ? って聞いてみよーかなぁ。美果より私の方が上手だよって言ったら、興味持ってくれるかも』

 悪魔の囁きをかき消せない。

 梨果が自分だけではなく、翔のこれまでの努力や未来を奪うのかもしれないと思ってしまったら――抗う気持ちも湧き起こらない。

 それならもう、最初で最後の恋をここで終わりにすべきだと信じ込んでしまうほどに。

「無神経なことをして悪かった。許してほしい」
「いえ……翔さんの気持ちは、嬉しかった……です」
「……」
「ごめんなさい。……時間になったので、失礼します」

 翔の表情を確かめるのが怖くて、封筒をテーブルに置くとソファから静かに立ち上がる。そのままダイニングチェアにかけてあったバッグと上着を手にしてリビングを後にすると、ろくな挨拶もせずマンションの部屋を出る。

 玄関を飛び出すと同時に目からぼろぼろと涙が溢れてきたが、翔の想いを踏みにじった美果に、引き返すことは許されない。

 ほどなくしてやってきたエレベーターに滑り込んで壁に寄りかかると、そのうち力が抜けてきてずるずると床にへたり込んでしまう。

 うずくまって嗚咽を我慢するとふかふかの絨毯でできた床に小さな染みが生まれたが、視界が滲む美果にはその数を数えることも出来なかった。

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