御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

 美果のネームプレートを確認した翔が微笑みを浮かべて道を譲ってくれたので、美果も営業スマイルを貼りつけて会釈をする。そしてその場を、小走りで離れていく。

(沈められずに済んだ……)

 澄ました顔でやり過ごしたが、内心は冷や汗まみれだ。

 だがこれで、死地はかいくぐった。美果の説得が翔の心に響いたのかどうかはわからないが、いや、もちろん届いていなくて全然構わないのだが、とりあえず翔の誤解は解けただろう。

 彼に怯えずに仕事が出来る環境を得た。それだけで美果はガッツポーズをして「神様ありがとう!」と叫びたい気分になった。

 これで元通り平和に生きていける――と確信した美果は、その後ろ姿を翔がじっと見つめていることには気づけないままだった。



   * * *



 翔の存在に怯える日々から解放されて晴れ晴れとした気分で仕事をこなしていた美果だったが、それから三週間ほど経過した頃、また廊下で翔に呼び止められた。

「秋月さん、ちょっといいですか?」
「!?」

 せっかく伸び伸びと快適に仕事が出来ると思っていたのに、また不安に苛まれる日々を送らなければならないのだろうかと疑心暗鬼になる。

 実はここ数週間、天ケ瀬百貨店東京のフロアや廊下で何度か翔とすれ違う機会があった。

 節分の時期が終わるとすぐにバレンタインデー商戦が始まり、それが終わると今度はホワイトデー、さらに新生活や行楽シーズンとイベントが続くので、食品フロアやギフトコーナーの入れ替わりが激しい時期なのだろう。

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