御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
憮然とした様子でそっぽを向く姿を見て、すっかりと忘れていた電話の様子を思い出す。
あのときの電話相手は翔の『本来の姿』を知っている人物で、結婚を推してくるような人物――そう、翔の母親だったのだ。しかも接待を受けている最中に席を外してまで電話を受けるということは、翔も簡単には逆らえない存在なのだろう。
「ものすごい勢いで勧めてくるから、俺も困ってるんだ」
しかし母の望みに反し、翔には結婚願望がないと言う。それどころか、他人を自分の家に入れることすら苦手だと言うのだ。
(あれ……?)
ならばどうして、美果は今この家に入ることが出来ているのだろう。記憶が間違っていなければ、翔は『家政婦も要らない』と言っていたはずなのに。
「お袋が近所の生け花教室で稲島物産の令嬢と知り合ったらしいんだが、家事が得意なんだと。いいお嬢さんだからお嫁さんにどうかしら、ってしつこいんだ」
「えっ!? 稲島物産って、あの稲島……?」
少し別のことを考えていた美果だったが、翔の説明に挟まれた名前のせいで急激に意識を引き戻される。
稲島物産といえば、物流業を主軸に土木建設業からIT関係に至るまで様々な業界に進出している大きな会社だ。自分のことで精一杯な美果は流行や経済の動きには疎いが、コマーシャルや駅の広告で宣伝をしている大きな企業なので名前ぐらいは聞いたことがある。