御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

 翔も清掃ワゴンの進路に立ち塞がった男性が、清掃員である美果の仕事開始を阻んでいることに気付いたのだろう。お互いの立ち位置や身体の向きや表情から状況を一瞬で読み取る洞察力はさすがである。

 そしてこの状況を読み取っても、一方的に男性を叱りつけることはない。この場を強引な方法で収めるのではなく、後々のことを考えて男性に圧を感じさせない表情と言葉選びをしてくれる。

「では、僕はこれで……」

 突然登場したはるか雲の上の上司・翔に苦笑いを返しながら、男性が清掃ワゴンからさらに一歩離れる。そしてくるりと踵を返すと、そのまま自分の持ち場である店舗へそそくさと帰っていった。

「ごめんね、ええと……秋月さん?」
「あ、はい……いえ」

 背中を丸めて逃げるように退散する後ろ姿を見つめていると、ふと翔が複雑な表情で声をかけてきた。

 その表情は、自分の部下が外部委託業者である美果に不快な絡み方をしてしまったことへの申し訳なさが半分。そして男性をこの場でしっかりと叱責しなかった罰の悪さが半分、といったところ。

 だが気にしなくてもいい。美果も彼の意図は十分に理解している。

 おそらく翔は、自分が見ていないところで男性の行動がエスカレートすることを心配してくれたのだ。男性に恥をかかせるような叱り方をすれば、その矛先が後から美果に向くかもしれないことを見越して、あえて明るく茶化してその場を丸く収める選択をしてくれた。

 その判断は美果も正しいと思う。おかげで男性が引いてくれたのだから、後のことはまた後で考えればいい。今は時間通りに仕事を始められれば、それで十分なのだから。

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