御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
頭の上に疑問符を浮かべたまま動けなくなっていると、自ら美果へ説明することを諦めたらしい翔が背後に向かって声をかける。するとその呼びかけに応じた一人の男性が美果の前に歩み出てきた。
素の話し方をする翔の傍に他の人物がいるはずがない、という先入観と、高身長の翔の背中に姿がすっぽりと隠れていたせいか、美果には見知らぬ男性がその場に突如出現したように思えた。
「はじめまして。天ケ瀬の秘書の森屋誠人と申します」
「あ、は……はじめまして……! クリーンルーム高星の、秋月です」
翔の背後から現れた眼鏡の男性が美果に向かって丁寧に頭を下げる。物腰が柔らかく優しい印象を受ける男性に倣って美果も慌てて自己紹介をしたが、頭の中では彼が名乗った『誠人』という名前に気を取られた。
どこかで聞いたような気がする、と思っていると、男性が手にしていたケースから名刺を抜き取って美果に差し出してきた。そこに記された名前を見て合点がいく。
翔の秘書である男性、森屋誠人。
そうだ。以前翔が電話で話しているのを聞いてしまったとき、翔は『誠人にも言うな』と言っていたのだ。
「あの、ごめんなさい。私、名刺をもってなくて」
「構いませんよ。それよりこちらを」
二人は上司と秘書だったのか、と納得しながら謝罪をすると、誠人が美果の目の前に名刺とは別の用紙を差し出してきた。
条件反射で文字がびっしりと書かれたその紙を受け取る。しかし急に謎の紙を渡されても、やっぱり意味がわからない。
「これは……?」
「雇用契約書です」
意図を把握できずに首を傾げると、にこっと人のよさそうな笑みを浮かべた誠人が端的にそう説明してくれた。