御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

 美果が天ケ瀬家へ出勤する時間は、勤務開始時間の十五分前である朝の六時四十五分。普通の会社員に比べると随分早い時間だ。

 しかし新聞配達をしていたときはこの二時間ほど早くから仕事を開始していたので、それを思えば身体は今のほうがずっと楽なのは間違いない。だが翔は毎朝毎朝この調子なので、気持ちはかなり疲弊する。

「起きました?」
「起きたよ。……どっかの誰かさんが、朝からうるせーから」
「これもお仕事なので」

 目玉焼きの完成と同時にルームウェア姿でリビングに現れた翔の顔を見て、毎日の最初にして最大の仕事を無事に完遂したことに安堵する。

 美果も翔の家政婦を始めて三日で理解した。美果のような地味で平凡な女性をわざわざ家政婦としてに雇うことになった本当の理由は、彼の秘書である誠人がこれまで行っていた『なかなか起きてくれない翔を時間までに絶対起こさなくてはいけないミッション』を誰かに丸投げするためだったのだ。後から清々しい顔で『秋月さんのおかげで俺にも優雅な朝が戻ってきましたよ』とにこやかに笑われたのがその証拠である。

 だが確かに、素の自分を隠しておきたい翔にしてみれば、朝の無防備な状態を見せる相手は特に慎重に選ばねばならないだろう。

 しかも翔に不機嫌な声をかけられたり睨まれたからといって、簡単にその圧力に屈してはいけない。確実に彼を叩き起こす体力と精神力、そしてある程度の家事スキルを有する人材――となると、確かに簡単には見つからないのかもしれない。そういう意味でも、美果は翔の家政婦に適任だったのだろう。

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