御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

 すでに靴を履いてしまった翔の代わりにクロゼットルームに赴き、アクセサリケースから金と銀の波型ネクタイピンを選ぶ。そのまま玄関へ戻ると、ネクタイとワイシャツを挟むようにネクタイピンをきっちりと水平に留める。

「はい、いいですよ」

 これでよし! と頷いた美果だったが、ふと顔を上げると翔がこちらをじっと見つめていることに気がついた。

「? なんですか?」
「いや……いい嫁になりそうだな、と思って」
「結婚は相手がいないと出来ないんです。それより、早くしないと森屋さん迎えに来ますよ」

 突然何を言い出すのかと思ったら、美果の将来を気にしてくれているらしい。だが美果はまだ結婚するつもりはない。

 中学生の頃に父が亡くなってから――いや、小学生高学年の頃に母が病気に罹った頃から、美果はとにかく家族のことばかり考えて生きてきた。

 だから恋愛経験なんてまったくないし、今は梨果の借金返済が最優先事項だ。結婚も恋愛も、返済が終わらなければとても考えられそうにない。

 そう思って翔の言葉を受け流すが、なぜか翔は不機嫌になってしまう。美果の言葉が面白くない、とでも言いたげだ。

「……秋月」
「はい?」
「……。いってきます」
「? いってらっしゃいませ……?」

 翔は何かを言おうと口を開いたが、結局出てきた言葉は出発の挨拶だけだった。

 基本的に外面がよく礼儀正しい翔だが、すでに本性を知っている美果には一切の遠慮がなく、いつだって好きなことを思いついたままに言い放つ。

 だから意見を口にせず口を噤むのは珍しいと感じたが、すでに仕事へ向かった翔が言いかけた台詞の答えなど、探したところで見つかるはずがない。

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