御曹司さま、これは溺愛契約ですか?

「さてと、やりますか!」

 それより、美果は今日も天ケ瀬家の家事を確実にこなさなければならない。

 天ケ瀬百貨店本社に勤める社員の標準的な勤務時間は午前九時から午後五時半まで。ただし一般的な勤務形態と異なる美果は、二時間の前倒しと十五分の時間外労働で午前六時四十五分から午後三時半までが勤務時間となっている。

 朝から翔を起こして朝食を摂らせ、仕事に送り出すと食器洗いと洗濯をして、人が少ない時間帯のうちに買い物に出かける。戻ってきて一時間のお昼休憩をとると、洗濯物を取り込んでアイロンをかけ、家中の掃除を済ませて夕食を作り、お風呂の湯沸かし予約をセットする。

 これを午後三時までにすべて終えることが一日の仕事――つまり、美果には翔の言葉の意味を考えてのんびりとしている暇などないのだ。



   * * *



「おばあちゃん」
「あらあ。久しぶりねぇ、美果ちゃん」

 家政婦の仕事を終えたこの日の美果は、祖母・静枝が入所する介護付き有料老人ホームを訪れた。

 この施設は静枝が自らこだわって決めた終の棲家であるが、家からここへ来るためには電車で一時間以上を要してしまう。ゆえにここ数か月ほどまったく顔を出せておらず、お互いに顔を合わせるのは静枝の言うようにかなり久しぶりだ。

 談話室のダイニングに腰を下ろすと介護職員が二人分のお茶を入れてくれる。美果は熱い湯飲みで少し冷えた手を温めながら、静枝にそっと苦笑いを浮かべた。

「ごめんね、ちょっと来れない日が続いちゃって」
「いいのいいの。美果ちゃんも忙しいんだから」

 静枝は美果が仕事で忙しいことを把握しているらしく、にこにこと笑って手を横に振ってくれる。

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