御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
本当は今朝から説明の準備を整えていたので、翔の出勤前に話すことも可能だった。だが翔は朝七時から起こし始めても七時半になるまで覚醒せず、さらに八時になったら秘書の誠人が迎えに来てしまう。
たった三十分で食事と出勤の準備を済ませなければならない翔に朝から迷惑をかけたくはなかったので、退勤時間が過ぎてもいいから、とこうして彼の帰宅を待っていたのだ。
「で? 改まってなんだ?」
ネクタイを緩めた翔が、美果の掃除のおかげで塵ひとつないソファに腰を下ろしながら首を傾げる。
その言葉を待っていた美果は翔のビジネスバッグをダイニングチェアの座面に置くと、それと代わるように隣のチェアに置いてあった別のバッグを手にした。
「あの、これを翔さんのおうちで預かって頂けませんか?」
美果がソファの横のテーブル上に置いたのは、小さくて頑丈な黒いバッグだった。形はボストンバッグよりやや立方体に近く、二十代の女性が使うとすればお世辞にもおしゃれとは言い難い。ショルダーストラップは付属しているが、所持品がたくさん入るほどの大きさでもない。
明らかに不自然だと思ったのは、翔も同じらしい。
「なんだこのバッグ。なんかヤバイもの?」
「いえ、中身は一眼レフカメラとそのレンズです」
「カメラ?」
「はい。父の形見なんです」
バッグの中身は父の形見であるデジタル一眼レフカメラが一台、予備のミラーレス一眼カメラが一台、広角レンズとズームレンズが一つずつ。
プロのカメラマンだった父が愛用していた仕事道具で、彼が家族の次に大事にしていたものだ。