【Quintet】
『いいよ。ここで仕事しながら沙羅の演奏聴いてるから』
「ええっ?」
『それとも練習の邪魔かな?』
「邪魔……じゃないよ……。でも苦手な曲の練習だから……」
『俺もアドバイスできることがあれば言うよ。自由に弾いてて』

 あんなことをした後なのに悠真は何事もなかったように平然としている。こちらの心臓を騒ぐだけ騒がして……からかわれている?

(そうだ。私を好きって言ったのもからかって遊んでるだけなんだ。うん、そうよ。だって悠真が私のことが好きなんて……)

 鍵盤を前にしてもソファーにいる悠真の存在が気になって仕方ない。盗み見た彼の書類を持つ指先がさっきまで自分の口の中に入っていたのだ。

(指を舐めるってなんだかエッチだよね……)

 キスよりもエロティックな行為をしてしまった羞恥心と、海斗と星夜に対して生まれた罪悪感。心に生まれたモヤモヤもドキドキも全部、鍵盤に込めればいい。

課題曲が熱情で助かった。心に渦巻く感情を音に乗せた沙羅の熱情の色は、羞恥の赤と罪悪感の黒が混ざりあった深い赤色をしていた。
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