最愛の婚約者の邪魔にしかならないので、過去ごと捨てることにしました

 ***


 数日後。
 たまたま人通りのある公園で、以前見たことのある二人に気づいた。彼が旅人の服装をしていたからでもある。

 少しギクシャクした雰囲気だけれど、何度か会っているのだろうと言うのが、なんとなく見てとれた。

「……アンジェリカ、君はこの花が好きだったと思うのだけど、その花で作った香油なんだ。……その受け取って貰えるかな?」
「初めて見る花ですけど、……っ」

 それは可愛らしいピンクの小さな花の小瓶だった。その香りにアンジェリカは何かを思い出したのか、ボロボロと涙を零す。

「……ブレトン様が贈ってくださると約束していた……香油ですわ」
「うん。誕生日に贈れなくてごめん」
「……っ、そう……あの日、ブレトン様は商談の帰り道に……事故に……」

 一つの思い出がキッカケで、連動するように記憶が復元していく。その様を初めて見て怖いと思ってしまった。

 せっかく思い出さないで暮らしていたのに、どうして過去は追いかけてくるのだろう。私には記憶を取り戻して、過去と向き合うアンジェリカが眩しくて直視できなかった。

「ブレトン様? え……そんな……亡くなったんじゃ?」
「怪我はしたけれど、誤報だよ。いや、そう情報を隠蔽して君から財産を奪い追い出そうとした」
「ブレトン様っ」

 どうやら死んだとされた夫(?)は生きていたことで、追い出されたアンジェリカ()を追ってここまで来たとか。リジーが「元サヤに戻って良かった」と話していたが、私の耳には入ってこなかった。

「いいなぁ。ロマンティックじゃない」
「そう……かな」
「あー、ディアンナは夢見が悪いんだっけ」
「うん……」

 リジーは「それもそうか」と頷いてくれた。この都市に来て心の傷を持つ者はよく夢で魘されるそうだ。過去を捨て去ったものの、魂の記憶(トラウマ)によっては悪夢を繰り返し見てしまうらしい。心が傷を癒そうとしている証拠らしく、三カ月も経てば今の生活にも慣れて悪夢も自然と見えなくなるらしい。

「どうしても辛いなら悪夢を見ないお薬もあるらしいから、無理しちゃダメよ」
「うん。でも悪夢を覚えていれば過去を連れてくる旅人に出会っても警戒できるから良いのかもしれないわ」
「あーそう言う考え方もあるわよね。ここに入れる人は悪い人じゃないけど、元の国に戻るとか怖いし!」
「ほんとうにそれなのよね」

 アンジェリカの戻る国は平和で周りが優しい人たちだと良いのだけれど……。
 私は過去と向き合いたくなんてない。また傷つくくらいなら、いらないもの。
 そう思っていたのに、世界はそれを許さなかったようだ。


 ***


「ディアンナ!」

 そう名前を呼ばれて腕を掴まれた時、驚きも、ときめきもなく、ただ面倒なことが起こったとしか思わなかった。
 長い黒髪、深紫色の綺麗な瞳、ボロボロな外套だけれど質が良い物だったからか、あまりみすぼらしくは見えない。きっと高位貴族なのだろう。

「どなたでしょう?」
「──っ」

 なんの感情もなくそう告げた瞬間、彼は目を大きく見開き、絶望した顔でその場に座り込んでしまった。
 その後、傍にあるカフェの個室を貸してもらい話を聞くことにした。ギャラリーが居る中で、これ以上注目を浴びたくなかったからだ。「そんなのは、もう御免だわ」と口を衝いて出た時、きっと過去の私は晒し者か何かだったのだろうと、自分の過去を嫌悪した。

 とりあえずいつも食べるスイーツと紅茶を注文した。彼が食べるか分からないが二人分。彼はずっと泣き続けている。せっかく綺麗で爽やか系な美青年なのに、泣いてばかりなのよね。せっかくの綺麗な顔がもったいないわ。

「ここのスイーツを食べる間だけお話は聞きますが、聞くだけです」
「──っ、ディアンナ」
「軽々しく呼び捨てしないでくださいませ」
「ディアンナっ……うぐっ……」

 さらに泣き崩れてしまった。ど、どうしよう。収拾が付きそうにないわ。とりあえず、この場を凌いで後は、できるだけ関わらなければいいわよね。
 眼前の彼を見て何の感情も、記憶も蘇らなかった。つまりはその程度の関係だったと言うことのだ。今の私は幸せなのだから、放っておいて欲しいわ。

「お待たせしました、生チョコタルトと紅茶のセットでございます」
「あ、ありがとう」
「……っ」
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