離婚前提の妻でも溺愛されています
「大丈夫です。あの、本当にありがとうございました」
 
里穂の言葉に安心したのか、桐生はこの話はここまでとばかりに表情を和らげると、腕時計にチラリと視線を向けた。

「ひと駅先に馴染みの店があるので、ごちそうさせて下さい」

「いえ、それは、やっぱり遠慮させて――」

「ひとまず行きましょう」

里穂の言葉をあっさり遮ると、桐生は通りの向こうからやって来たタクシーを止めた。

「あ、あの」
 
そしてオロオロする里穂を、タクシーの後部座席に押し込むように強引に乗せた。

 


桐生に連れられて来たのは、里穂も名前だけは知っている老舗の鰻店だった。

オフィス街からも近い神社裏手の豊かな緑の中にあり、静かで落ち着きのある風情を漂わせていた。

「柔らかくてふんわりしていて絶品ですね。タレもいい甘さでご飯もおいしいです」

里穂は満足そうにそう言って、柔らかくふっくらと焼き上がった鰻に舌鼓を打った。

「気に入ってもらえてよかった」
 
桐生も里穂の向かいの席で鰻を楽しみながら、満足そうに微笑んだ。

「ここにはよく来られるんですか?」

「時々、ですね。仕事が立て込んで疲れている時に来ることが多いですね」

「鰻って食べると元気になりそうですからね」

とはいえ度々食べられる手頃な料理ではないので、里穂にとってはここぞというときに食べる特別なメニューだ。

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