早河シリーズ第三幕【堕天使】
7月6日(Sat)

 相澤に連れられて莉央は赤と青の照明に照らされた空間に足を踏み入れた。新宿のクラブ、〈エスケープ〉は今夜も都会の中心に集まる者達に一時の快楽と解放を提供する。

鳴り響く大音量の音楽に莉央は顔をしかめて片耳を手で塞いだ。

「私は未成年なのにこんな場所に来ていいのでしょうか?」
『ここのオーナーとは知り合いだから大丈夫。それに年齢を隠してクラブに出入りする人間は山ほどいるよ』

 二人掛けのシート席に莉央と相澤は腰掛けた。ステージではDJのパフォーマンスに合わせて男も女も躍り狂っている。
あんな風に踊って騒いで何が楽しいのか莉央は理解できない。

席に現れたバーテンに相澤の婚約者として紹介される。これまでも相澤に連れ回されてまるで彼のアクセサリーのように扱われてきた。
相澤の知人に婚約者として紹介されることも今では慣れてしまった。

 莉央が手洗いに行っている間にバーテンの男が相澤の席に顔を出した。

『“アレ”は入れた?』
『直輝の指示通り二杯目のグラスにね』

 バーテンが莉央のグラスを指差す。莉央が半分ほど飲んだグレープフルーツ風味の酒の中には相澤がバーテンに渡した〈禁断の果実〉が混入していた。
相澤が金色の腕時計で時間を確認する。

『そろそろ効果が出る頃だな』
『自分の婚約者を生け贄に差し出すなんてお前も悪い男だな』

 相澤の隣で彼の知人の男もバーテンと共に卑劣な笑いを浮かべている。相澤は不敵に微笑してフロアを見渡した。
バーテンに肩を支えられた莉央がふらついて歩いてくる。

『お姫様が戻ってきたようだ』

彼は席を離れておぼつかない足取りの莉央を迎えた。莉央の身体がガクッと揺れて彼女は相澤の胸元に寄りかかる。

『大丈夫? 酔ったかな』
「ええ……なんだかふらついて……」

 こめかみを押さえた莉央は相澤に気付かれないようにテーブルのグラスに視線を向ける。これは4月の“あの夜”と同じ感覚だ。

会食の夜に相澤の自宅で酒を飲んだ後と同じ、ふわふわとして身体の奥が熱くなり、無性に人肌が恋しくなる。
手洗いを出てフロアをふらついていた莉央に手を貸したバーテンにさえ、激しい欲情を感じてしまった。

(でもまさかお店のお酒に?)

 莉央はあることを失念していた。このクラブは相澤の知人がオーナーだと聞いた。
バーテンも相澤の知人、他に何人も相澤の仲間が出入りしている。いわばこのクラブは相澤の領土。
彼が指示して莉央の酒に“何か”を入れた……そうとしか考えられない。
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